がん悪液質(カヘキシア)とは何か
がん悪液質は、がんの進行に伴って生じる複合的な代謝異常症候群です。単なる栄養不足とは異なり、通常の栄養サポートでは完全に回復することができず、進行性の機能障害に至る、骨格筋量の持続的な減少(脂肪量減少の有無を問わない)を特徴とする多因子性の症候群として定義されています。
がん悪液質は、進行した消化器がんや肺がんで高頻度に発症し、がん患者のQOL(生活の質)の低下、予後不良の要因となる重要な合併症です。この状態は、がん細胞から分泌される炎症性サイトカインによって引き起こされる全身性の炎症反応が主な原因となっています。
がん悪液質の3つの段階とその特徴
2011年にEPCRC(European Palliative Care Research Collaborative)により、がん悪液質は「前悪液質」「悪液質」「不応性悪液質」の3つのステージに分類されました。この分類は現在の国際的な診断基準となっています。
前悪液質(Pre-cachexia)
前悪液質は、がん悪液質の初期段階です。この段階では、明確な悪液質の診断基準は満たしていませんが、体重減少や代謝異常の兆候が現れ始めます。具体的には以下のような特徴があります:
- 体重減少が5%未満の軽度な段階
- 食欲低下や慢性的な炎症の初期症状
- 代謝異常の早期兆候
- まだ可逆的な状態
前悪液質の段階から栄養サポートを行うことにより、栄養不良の進行を遅らせたり、他の原因による栄養不良を改善する可能性が高くなるため、この段階での早期介入が重要です。
悪液質(Cachexia)
悪液質は、がん悪液質の中核的な段階です。EPCRC基準では、以下のいずれかに当てはまると「がん悪液質」と診断されます:
診断基準 | 詳細 |
---|---|
①体重減少 | 過去6か月間で体重の5%以上の減少 |
②BMIと体重減少 | BMI20未満で2%以上の体重減少 |
③サルコペニアと体重減少 | サルコペニア(筋肉量減少)で2%以上の体重減少 |
これらの条件に加えて、経口摂取不良と全身炎症を伴うことが特徴です。
不応性悪液質(Refractory cachexia)
不応性悪液質は、がん悪液質の最終段階です。体内のタンパク質や脂質、糖質などの分解が進み、抗がん剤治療ができない状態で、予測生存期間は3カ月未満とされています。この段階では、過度に介入することはかえって本人の負担を増大させてしまう可能性があるため、緩和的治療を目的とした栄養補助食品の提案や食べ方の工夫などが中心となります。
がん悪液質における体重減少のメカニズム
がん悪液質による体重減少は、単純な食事不足とは異なるメカニズムで起こります。がん細胞から過剰に産生される「炎症性サイトカイン」「インターロイキン6」などにより、代謝異常になるため筋肉を構成するタンパク質がアミノ酸に分解されさらにブドウ糖に分解され血中に入りがん細胞のエネルギー源になることが分かっています。
この過程では、以下のような代謝変化が起こります:
- 筋タンパク質の異常な分解促進
- 脂質代謝の異常
- 糖質代謝の障害
- 炎症性サイトカインの過剰産生
そのため、食事以外の栄養介入(カロリー補給)をしても悪液質は緩和されません。これが、がん悪液質の治療を困難にしている理由の一つです。
最新の栄養管理アプローチ
2024年に発行された「がん患者診療のための栄養治療ガイドライン2024年版」では、がん悪液質に対する最新の栄養管理アプローチが示されています。
栄養評価の重要性
適切な栄養管理を行うためには、まず正確な栄養評価が必要です。評価項目には以下が含まれます:
- 栄養スクリーニングによる初期評価
- 詳細な栄養アセスメント
- エネルギー必要量の算定
- 必要タンパク質量の決定
- ビタミンと微量元素の評価
栄養投与経路の選択
がん悪液質の患者さんでは、経口摂取が困難になることが多いため、適切な栄養投与経路の選択が重要です。経口栄養補助食品から経腸栄養、静脈栄養まで、患者さんの状態に応じて最適な方法を選択します。
多職種連携による栄養サポート
効果的な栄養管理には、医師、看護師、管理栄養士、薬剤師、理学療法士などの多職種による連携が不可欠です。それぞれの専門性を活かした包括的なアプローチが求められます。
運動療法の役割と効果
がん悪液質の代表的な特徴の一つは骨格筋の減少であり、骨格筋組織の質的量減少は身体機能や身体活動、生活の質(QOL)を徐々に低下させることから、骨格筋の維持または改善が治療のポイントとなります。
運動療法の生理学的効果
適切な運動療法には以下のような効果が期待されます:
- 筋タンパク質合成の促進
- 炎症性サイトカインの抑制
- 食欲の改善
- 全身の代謝機能の向上
推奨される運動内容
がん患者さんにおいても運動を禁止されている場合でなければ、適切に行う限り、健康な人に推奨されるのと同じレベルの身体活動や運動が推奨されるとされています。ただし、個々の患者さんの健康状態、治療歴、予測される病状経過などに応じた運動プログラムの調整が必要です。
薬物療法の新展開 - エドルミズの登場
2021年4月に、世界初のがん悪液質治療薬「エドルミズ」(一般名:アナモレリン塩酸塩)が国内で発売されました。これは、がん悪液質の治療において画期的な進歩です。
エドルミズの作用機序
エドルミズは、グレリン様作用薬と呼ばれる作用機序を持つ経口薬。グレリンは、主に胃から分泌される内在性ペプチドで、受容体に結合すると、体重、筋肉量、食欲、代謝を調節する複数の経路を刺激します。
臨床試験での効果
肺がんのがん悪液質患者を対象に国内で行われた臨床試験では、脂肪を除いた体重量がエドルミズ投与群で平均1.38kg増加した一方、プラセボ群では平均0.17kg減少。消化器がんのがん悪液質患者を対象に行われた臨床試験では、被験者の63%に体重の維持・増加が認められ、食欲の改善も見られました。
適応と使用上の注意
エドルミズ錠の効能・効果は「非小細胞肺癌、胃癌、膵癌、大腸癌におけるがん悪液質」です。しかし、切除不能な進行・再発の上記がん患者への使用に限られるため、初期のがん患者には使用できません。
使用条件として、以下の基準を満たす必要があります:
- 6ヵ月以内に5%以上の体重減少と食欲不振
- 疲労又は倦怠感、全身の筋力低下、検査値異常のうち2つ以上
診断と評価の最新基準
がん悪液質の正確な診断には、複数の評価項目を組み合わせた包括的なアプローチが必要です。
体重減少の評価
体重減少は、がん悪液質診断の中核的な指標です。しかし、単純な体重の変化だけでなく、体組成の変化、特に筋肉量の減少を正確に評価することが重要です。
筋肉量測定の方法
現時点では、二重エネルギーX線吸収法(DEXA)がゴールド・スタンダードといわれますが、どこの施設にでもあるものではなく、経時的に測定するのが難しい。そこで代替案として有望なのが、CTを撮像し、腰椎3番レベルの断層画像から骨格筋量が減っているかどうかを判定する方法です。
炎症マーカーの重要性
がん悪液質では、全身性の炎症反応が特徴的です。CRP(C反応性タンパク質)の上昇、アルブミン値の低下、ヘモグロビン値の低下などの検査値が診断の補助となります。
早期発見と予防的介入
がん悪液質は、一度進行すると回復が困難になるため、早期発見と予防的介入が重要です。
リスク因子の把握
がん悪液質のリスクが高いがん種を理解しておくことが重要です。肺がん(非小細胞肺がん)や膵臓がん、食道がん、胃がん、大腸がんなどの消化器がん、多発転移などで高頻度に発症します。
定期的なモニタリング
これらの高リスクがん種の患者さんでは、以下のような定期的なモニタリングが推奨されます:
- 体重と体組成の変化の追跡
- 食欲と摂食量の評価
- 身体機能と活動レベルの評価
- 炎症マーカーの定期的測定
患者さんと家族への支援
がん悪液質は、患者さんだけでなく、ご家族にも心理的な負担をもたらします。がん悪液質が進行すると、痩せた外見や食が細くなることを気にして、外出や外食を控えたり、人に会うことに抵抗を感じたりしてしまう。また、痩せた姿を見ると家族は何とか少しでも食べてほしいと願い、その思いが本人との対立関係を引き起こしてしまうこともあることが知られています。
心理的サポートの重要性
がん悪液質に対する理解を深め、適切な心理的サポートを提供することが重要です。患者さんとご家族が病状を理解し、現実的な目標を設定できるよう支援します。
生活の質の維持
治療効果だけでなく、患者さんの生活の質(QOL)を維持することも重要な目標です。食事の楽しみを保ちながら、現実的な栄養目標を設定することが大切です。
今後の展望と研究動向
がん悪液質の治療法は、現在も活発に研究が進められています。筋肉量低下を防ぐ作用のあるお薬など、がん悪液質を直接改善できるような薬剤の開発が進んでいます。
新たな治療標的
現在研究されている治療アプローチには以下があります:
- 筋肉消耗阻害ペプチドの開発
- サイトカイン阻害薬の応用
- 代謝調節薬の開発
- 複合的治療アプローチの確立
個別化医療への展開
今後は、患者さん一人ひとりの病状や体質に応じた個別化医療の展開が期待されています。遺伝子解析や代謝プロファイルに基づいた治療選択が可能になると考えられます。
まとめ
がん悪液質(カヘキシア)は、がん患者さんの生活の質と予後に大きな影響を与える重要な合併症です。前悪液質、悪液質、不応性悪液質の3段階に分類され、それぞれの段階に応じた適切な対応が必要です。
特に前悪液質の段階での早期介入が重要であり、栄養管理、運動療法、薬物療法を組み合わせた包括的なアプローチが求められます。2021年に承認されたエドルミズは、がん悪液質治療の新たな選択肢として期待されています。
患者さんとご家族は、がん悪液質について正しく理解し、医療チームと連携しながら適切な治療を受けることが大切です。
参考文献・出典情報
- ネスレ栄養ネット「いまこそ知りたい!悪液質とは?」
- 小野薬品「がん悪液質にもステージがあります」
- HOKUTO「悪液質の診断基準(EPCRC)」
- がんサポート「がん悪液質に対する治療法開発の取組みが進む」
- ケアネット「がん悪液質とグレリン様作用薬」
- 金原出版「がん患者診療のための栄養治療ガイドライン2024年版」
- 小野薬品「がん悪液質と運動~理論と実際」
- 小野薬品工業「エドルミズ錠50mg新発売のお知らせ」
- AnswersNews「がん悪液質治療薬エドルミズ登場」
- 日本終末期ケア協会「悪液質について」