HER2陽性乳がん治療の進化と現状
こんにちは。がん専門のアドバイザー、本村ユウジです。
HER2陽性乳がんの治療は、2001年にハーセプチン(トラスツズマブ)が日本で承認されてから大きく進化してきました。
かつてはHER2陽性の乳がんは他のタイプと比べて予後が悪いとされていましたが、現在では適切な治療により良好な治療成績が期待できるようになっています。
2026年時点では、ハーセプチンだけでなく、パージェタ、カドサイラ、エンハーツ、そして2025年に承認申請されたツカチニブなど、複数の治療選択肢が存在します。これらの薬をどのように使い分けるか、患者さんの病状に応じた治療選択が重要です。
HER2タンパクとは何か
HER2(ヒト上皮増殖因子受容体2型)は、がん細胞の表面に存在する受容体の一種です。この受容体は細胞の増殖に必要な物質を取り込む性質があり、HER2が過剰に発現しているとがん細胞が活発に増殖します。
乳がん患者さんの約15~20%がHER2陽性と診断されます。HER2陽性が確認された場合にのみ、HER2を標的とした治療薬が効果を発揮します。そのため、治療前には必ずHER2検査が実施されます。
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がん専門アドバイザー 本村ユウジ
ハーセプチン(トラスツズマブ)の特徴と役割
ハーセプチンの基本的な作用
ハーセプチンはHER2タンパクを標的とする分子標的薬です。がん細胞のHER2にピンポイントで結合し、がん細胞の増殖シグナルを遮断します。
従来の抗がん剤と異なり、正常細胞への影響が少ないため、脱毛や吐き気、白血球減少といった副作用がほとんどみられません。ただし、ハーセプチン特有の副作用として発熱や心機能への影響があります。
ハーセプチンの投与方法
ハーセプチンは基本的に他の抗がん剤やパージェタと併用して使用されます。3週間を1サイクルとして点滴で投与します。手術前の治療では腫瘍を小さくする目的、手術後の治療では再発予防を目的として使用され、再発予防としての使用期間は通常1年間です。
パージェタとの併用療法
2013年に登場したパージェタ(ペルツズマブ)は、ハーセプチンとは異なる部位のHER2に結合する抗体薬です。ハーセプチンとパージェタを併用することで、HER2からの増殖シグナルをより強力に遮断できます。
進行・転移乳がんに対する3剤併用療法
| 治療レジメン | 無増悪生存期間(中央値) | 全生存期間 |
|---|---|---|
| タキサン系抗がん剤+ハーセプチン(2剤) | 12.4か月 | 3年時点で50% |
| タキサン系抗がん剤+ハーセプチン+パージェタ(3剤) | 18.5か月 | 3年時点で66% |
進行・再発したHER2陽性乳がんの第一選択治療として、タキサン系抗がん剤(ドセタキセルやパクリタキセル)にハーセプチンとパージェタを加えた3剤併用療法が標準治療となっています。3週間ごとに、パージェタ、ハーセプチン、タキサン系抗がん剤の順番に点滴投与します。
術前・術後補助療法での使用
手術前や手術後の補助療法では、主に再発予防を目的として使用されます。タキサン系抗がん剤とハーセプチンを併用することで、再発の危険性を約50%減らす効果があるとされています。
リンパ節転移陽性などの再発リスクが高い患者さんには、パージェタも追加した治療が行われることがあります。術前・術後ともに投与期間は通常12か月間までとされています。
カドサイラ(トラスツズマブ エムタンシン)の特徴
カドサイラの開発背景
カドサイラは2014年4月に日本で承認された、ハーセプチンを発展させた薬です。ハーセプチンに抗がん剤(DM1)を結合させた抗体薬物複合体(ADC)という新しいタイプの薬剤です。
従来の治療では、ハーセプチンと抗がん剤を別々に投与していました。この場合、ハーセプチンはHER2陽性のがん細胞のみを攻撃しますが、抗がん剤は正常細胞にもダメージを与えていました。
カドサイラの作用機序
カドサイラはハーセプチンががん細胞のHER2に結合すると、がん細胞内に取り込まれます。細胞内でリンカーが分解され、抗がん剤(DM1)が放出されてがん細胞を攻撃します。ターゲットをがん細胞に絞って作用するため、従来の併用療法よりも副作用が軽減されています。
カドサイラの適応と効果
カドサイラは以下の2つの状況で使用されます。
1. HER2陽性の進行・再発乳がんで、ハーセプチンとタキサン系抗がん剤の治療を受けた後に病状が進行した場合(二次治療)
2. 術前化学療法後に浸潤性の病変が残存しているHER2陽性早期乳がんに対する術後補助療法
特に2つ目の適応では、KATHERINE試験という大規模な臨床試験で、カドサイラがハーセプチン単独と比較して再発または死亡のリスクを46%低減することが示されました。7年時点での全生存割合は、カドサイラ群で89.07%、ハーセプチン群で84.37%でした。
カドサイラの投与方法
カドサイラは体重1kgあたり3.6mgを3週間ごとに点滴で投与します。術後補助療法の場合、投与回数は14回(約10か月間)までとされています。他の抗がん剤との併用は必要ありません。
エンハーツ(トラスツズマブ デルクステカン)という新たな選択肢
エンハーツの登場と位置づけ
2020年5月に日本で承認されたエンハーツは、カドサイラと同じ抗体薬物複合体(ADC)ですが、より強力な抗がん剤成分を搭載しています。当初はHER2陽性の進行・再発乳がんに対する治療薬として承認されましたが、その後HER2低発現、さらにHER2超低発現の乳がんにも適応が拡大されました。
カドサイラとエンハーツの比較
| 項目 | カドサイラ | エンハーツ |
|---|---|---|
| 承認時期 | 2014年4月 | 2020年5月 |
| 作用機序 | ハーセプチン+DM1 | ハーセプチン+DXd(強力な抗がん剤) |
| 適応 | HER2陽性のみ | HER2陽性、低発現、超低発現 |
| 投与間隔 | 3週間ごと | 3週間ごと |
| 主な副作用 | 血小板減少、肝機能障害 | 間質性肺炎、悪心、疲労 |
2025年のESMO(欧州臨床腫瘍学会)で発表されたDESTINY-Breast05試験では、術前化学療法後にがんが残存したHER2陽性早期乳がん患者さんに対する術後補助療法として、エンハーツがカドサイラよりも優れた効果を示すことが明らかになりました。
3年後の無病生存率は、エンハーツ群がカドサイラ群より約9%高く、再発や死亡のリスクを53%減少させました。この結果により、高リスクのHER2陽性乳がん患者さんに対しては、エンハーツが新しい標準治療となる可能性が示されています。
エンハーツの副作用管理
エンハーツで特に注意が必要なのは間質性肺炎(ILD)です。息切れ、咳、発熱などの症状が現れた場合は、すぐに医療機関に連絡する必要があります。定期的な胸部画像検査や血液検査により、副作用の早期発見と適切な管理が行われます。
2025-2026年の最新治療動向
ツカチニブの承認申請
2025年3月、ファイザー社からツカチニブというHER2阻害薬が承認申請されました。ツカチニブは経口薬(飲み薬)であり、ハーセプチンやパージェタ、カドサイラによる治療歴がある患者さんに対して、ハーセプチンとカペシタビン(抗がん剤)と併用して使用されます。
ツカチニブの大きな特徴は、脳転移に効果が期待できる点です。分子量が小さいため血液脳関門を通過しやすく、脳転移のある患者さんでより良い治療成績が報告されています。
フェスゴ配合皮下注の登場
2023年11月、パージェタとハーセプチンを1本のバイアルに配合した皮下注製剤「フェスゴ」が発売されました。従来の静脈注射では初回150分、2回目以降60~150分かかっていた投与時間が、フェスゴでは初回8分以上、2回目以降5分以上に短縮されます。
通院時間の短縮により、患者さんの日常生活の質向上が期待されています。
治療選択の考え方
HER2陽性乳がんの治療では、病状や治療歴に応じて以下のような治療選択が行われます。
初回治療(進行・転移乳がん):
・タキサン系抗がん剤+ハーセプチン+パージェタの3剤併用
・または、エンハーツ+パージェタの併用(DESTINY-Breast09試験で検証中)
二次治療:
・カドサイラ(ハーセプチンとタキサン系抗がん剤の治療後)
・エンハーツ
三次治療以降:
・エンハーツ(カドサイラ使用後)
・ツカチニブ+ハーセプチン+カペシタビン(承認後)
術後補助療法(高リスク患者):
・術前化学療法でがんが完全に消失しなかった場合:エンハーツまたはカドサイラ
ハーセプチンの副作用と対策
発熱への対応
ハーセプチンを初めて投与された患者さんの約半数に発熱が現れます。多くは点滴直後から24~48時間以内に38~39℃程度の発熱がみられます。これは一過性の反応であり、アセトアミノフェンなどの解熱剤で対応します。回数を重ねるごとに発熱の頻度は減少する傾向がありますが、2回目以降も発熱する可能性があります。
心機能への影響
ハーセプチンは心機能に影響を及ぼす可能性があるため、投与前には必ず心臓の検査が実施されます。以下のような状態の患者さんは、特に注意が必要です。
・胸部への放射線治療を受けたことがある
・息切れ、動悸、疲れやすいなどの症状がある
・心筋梗塞や狭心症の既往がある
・高血圧と診断されている
投与中は定期的に血液検査や心臓超音波検査を実施し、心機能を確認します。
併用する抗がん剤による副作用
ハーセプチン自体は副作用が比較的少ない薬ですが、併用する抗がん剤による副作用が現れることがあります。タキサン系抗がん剤を併用する場合は、末梢神経障害、爪の変化、筋肉痛などが生じることがあります。
治療開始前に、使用する薬の種類、注意すべき副作用、対処法について医師とよく確認しておくことが大切です。
カドサイラの副作用と注意点
主な副作用
カドサイラでは以下のような副作用が報告されています。
・血小板減少:出血しやすくなる可能性があるため、定期的な血液検査が必要です
・肝機能障害:肝臓の数値を定期的にモニタリングします
・倦怠感:治療中は無理をせず、十分な休息をとることが大切です
・末梢神経障害:手足のしびれや痛みが現れることがあります
間質性肺炎のリスク
カドサイラでも間質性肺炎が報告されています。息切れ、咳、発熱などの症状が現れた場合は、すぐに医師に連絡してください。胸部X線検査などで定期的にチェックが行われます。
妊娠・授乳への影響
カドサイラの成分であるハーセプチンは、妊婦さんへの投与で羊水過少や胎児への影響が報告されています。妊娠中または妊娠の可能性がある方は、必ず医師に申し出てください。治療中および治療後一定期間は、適切な避妊が必要です。
治療費用と保険適用
薬剤費の目安
HER2陽性乳がん治療薬の薬価(2026年時点)は以下のとおりです。
・ハーセプチン注射用60mg:約11,000円
・ハーセプチン注射用150mg:約25,000円
・カドサイラ点滴静注用100mg:約236,000円
・カドサイラ点滴静注用160mg:約377,000円
・パージェタ点滴静注420mg:約190,000円
標準的な体重の患者さんにカドサイラを投与した場合、月あたりの薬剤費は約67万円となります。ハーセプチンが月20万円程度であることと比較すると、新しい薬剤ほど高額になる傾向があります。
保険適用と高額療養費制度
これらの薬剤はすべて保険適用となっており、患者さんの自己負担は通常3割です。ただし実際の負担額は高額になるため、高額療養費制度の利用が重要です。
高額療養費制度を利用すると、月の医療費の自己負担額に上限が設けられます。上限額は所得によって異なりますが、一般的な所得の方で月約8~9万円程度です。事前に「限度額適用認定証」を取得しておくと、医療機関での支払い時から上限額のみの支払いとなります。
治療期間と総額の目安
HER2陽性乳がんの薬物療法は長期にわたります。
・術後補助療法:通常1年間(ハーセプチン、パージェタ)
・術後補助療法(高リスク):約10か月間(カドサイラ14回)
・進行・転移乳がん:効果が続く限り継続
高額療養費制度を利用した場合でも、1年間の治療で約100万円程度の自己負担が発生する可能性があります。医療費控除の対象にもなりますので、領収書は必ず保管しておきましょう。
HER2陽性乳がん治療の今後の展望
HER2陽性乳がんの治療は、ハーセプチンの登場から20年以上が経過し、大きく進化してきました。パージェタ、カドサイラ、エンハーツ、そして近く承認が期待されるツカチニブと、次々に新しい治療選択肢が登場しています。
特に注目されるのは、HER2の発現レベルに応じた治療の細分化です。従来はHER2陽性か陰性かの2つに分類されていましたが、現在ではHER2低発現、超低発現という新しいカテゴリーが確立され、より多くの患者さんに効果的な治療が提供できるようになっています。
また、脳転移に対する治療選択肢の拡大も重要な進歩です。ツカチニブのような血液脳関門を通過できる薬剤により、これまで治療が困難だった脳転移症例にも新たな希望が生まれています。
一方で、新しい薬剤ほど治療費が高額になる傾向があり、医療経済の観点からも課題が残されています。患者さん一人ひとりの病状や生活状況に応じた、最適な治療選択が求められています。
患者さんが知っておくべきこと
HER2陽性乳がんと診断された場合、以下の点を理解しておくことが大切です。
1. HER2陽性乳がんは、適切な治療により良好な治療成績が期待できます
2. 治療開始前に必ずHER2検査が行われ、陽性が確認された場合のみHER2標的薬が使用されます
3. 治療は長期にわたりますが、定期的な検査により副作用の早期発見と適切な管理が可能です
4. 複数の治療選択肢があり、病状や治療歴に応じて最適な薬剤が選択されます
5. 高額療養費制度の利用により、医療費の負担を軽減できます
治療方針について疑問や不安がある場合は、遠慮なく担当医に質問し、納得した上で治療を進めることが重要です。セカンドオピニオンを求めることも、患者さんの権利として認められています。
HER2陽性乳がんの治療は進歩を続けており、今後も新しい治療法の開発が期待されています。最新の情報を入手しながら、医療チームと協力して治療に取り組んでいくことが、より良い治療結果につながります。
参考文献・出典情報
- 中外製薬 - カドサイラKATHERINE試験追跡調査データ(2023年12月)
- 日本がん対策図鑑 - HER2陽性転移性乳がんに対するエンハーツ後の治療実態(2025年8月)
- ファイザー - ツカチニブ承認申請(2025年3月)
- 日本がん対策図鑑 - DESTINY-Breast09試験結果(2025年6月)
- 乳がんセミナー - HER2陽性の乳がん治療
- 中外製薬 - フェスゴ配合皮下注国内発売(2023年11月)
- 日本乳癌学会 - HER2低発現乳癌に対するエンハーツ使用に関するステートメント
- 日本がん対策図鑑 - エンハーツ適応拡大(2025年8月)
- 日本がん対策図鑑 - EMERALD試験結果(2025年1月)
- 医薬品医療機器総合機構 - カドサイラ添付文書情報
