近年、従来の抗がん剤以上に期待されているのが「分子標的薬(ぶんしひょうてきやく)」です。分子生物学の進歩により、がん細胞の増殖や転移に関して、がんだけに見られる、あるいはがんで多く発現している異常なタンパクや酵素が重要な役割を果たしていることが分かってきました。
分子標的薬は、がん細胞に特異的な分子や、過剰に発現してがんの成長に関与している分子を標的にして攻撃し、がん細胞の増殖を防ぐことを目的につくられた薬です。標的とする分子が決まっているため、事前にその分子があるかどうかを調べることで、薬の効果を予測できます。
分子標的薬の特徴と最新動向
2025年現在、日米で総計190種類のがん分子標的治療薬が承認されています。2010年時点では21種類だったことから、平均すると年間12剤のペースで新薬が承認されていることになります。これは、がん治療における分子標的薬の重要性が年々高まっていることを示しています。
分子標的薬は、がん細胞だけを狙って作用することから、従来の抗がん剤よりも副作用が少ないと考えられていました。しかし、最近は分子標的薬特有の副作用が起こることが分かってきており、適切な管理が必要となっています。
分子標的薬の分類と種類
分子標的薬は、標的とする特異的な分子や性状などにより、次の5つのタイプに分類されます。それぞれの特徴を詳しく見ていきましょう。
抗体製剤
抗体とは、体内に侵入した病原体などの異物(抗原)を撃退するために免疫系でつくられる物質のことです。抗体製剤は、遺伝子工学を利用して人工的につくられた抗体で、がん細胞にだけある特定の受容体や情報伝達物質にとりついて、そのはたらきを阻害するなどして効果を発揮します。
人工抗体は、以前はマウスの抗体を利用していました。現在は93~95%がヒトの抗体で残りがマウスの抗体のもの、100%ヒトの抗体のものも登場しています。これにより、アレルギー反応などの副作用が軽減されています。
代表的な抗体製剤には以下があります:
- トラスツズマブ(ハーセプチン):HER2陽性乳がんに使用
- ベバシズマブ(アバスチン):血管新生を阻害する抗VEGF抗体
- リツキシマブ(リツキサン):悪性リンパ腫に使用される抗CD20抗体
- セツキシマブ(アービタックス):大腸がん、頭頸部がんに使用される抗EGFR抗体
シグナル伝達系阻害薬
がん細胞の増殖に関わるシグナル伝達経路を阻害する薬剤群です。主に2つのタイプに分けられます。
チロシンキナーゼ阻害薬
多くのがんでは、同じような細胞を際限なく増やす異常なシグナルが出続けています。シグナル伝達を担っている物質(EGFRなど)に変異が起きているためです。
チロシンキナーゼ阻害薬は、がん細胞内にあるチロシンキナーゼに作用し、増殖するときに発せられるシグナルの伝達を抑えることで、がんの増殖を抑えるはたらきがあります。代表的な薬剤には、ゲフィチニブ(イレッサ)、イマチニブ(グリベック)、エルロチニブ(タルセバ)などがあります。
これらの薬剤では、皮疹などの皮膚障害が出ることがあり、適切なスキンケアが重要となります。
mTOR阻害薬
がん細胞の増殖や新生血管の生成をコントロールするというmTORというタンパクを持続的にブロックします。腎がんに使われるエベロリムス(アフィニトール)、テムシロリムス(トーリセル)があります。
血管新生(けっかんしんせい)阻害薬
がん細胞は酸素や栄養を補給するため、血管内皮増殖因子(VEGF)を自ら分泌して、血管を新しくつくり出しています。このVEGFのはたらきを抑えて、新しく血管ができないようにするのが血管新生阻害薬です。
がんを兵糧攻めにして、増殖を抑制するのです。代表的な薬剤はベバシズマブ(アバスチン)です。単独では効果が限定的ですが、抗がん剤の成分を細胞内に浸透しやすくする作用もあるため、抗がん剤との併用で用いられます。
血管新生阻害薬の副作用として、高血圧、タンパク尿、鼻出血などが認められることがあり、定期的な血圧測定や尿検査が必要です。
プロテアソーム阻害薬
がんの細胞内で不要になったり、間違えてつくられたりしたタンパクを分解するのが、プロテアソームという酵素です。この酵素のはたらきを抑えて、がん細胞を自滅させる作用があります。
代表的な薬が、多発性骨髄腫で使われるボルテゾミブ(ベルケイド)です。この薬には発がん性のあるタンパクを分解する物質の産生を促す作用もあるとされています。
ビタミンA誘導体
分子標的薬の中では最も歴史の古いもので、ビタミンA誘導体ががん細胞に見られる特殊な遺伝子のはたらきを抑えます。
急性前骨髄球性白血病の画期的な治療薬として知られていますが、投与をやめると元に戻ってしまうことから、これとは別に「寛解後療法(地固め療法)」が必要になります。
分子標的薬の副作用と対策
分子標的薬は、がんの発生や増殖に関連する分子を標的とする薬ですが、このような分子は実際には正常な細胞にもあり、副作用の原因となることがあります。症状は標的となる分子によって異なり、従来の抗がん剤とは異なる特有の副作用が現れます。
主な副作用の種類
薬剤の種類 | 主な副作用 | 対策・注意点 |
---|---|---|
EGFR阻害薬 | 皮疹、爪囲炎、下痢、間質性肺炎 | スキンケア、保湿剤使用、定期的な胸部画像検査 |
血管新生阻害薬 | 高血圧、タンパク尿、鼻出血 | 血圧測定、尿検査、出血傾向の観察 |
抗体薬 | インフュージョンリアクション | 投与速度の調整、前投薬の実施 |
ALK阻害薬 | 視覚障害、味覚障害、むくみ | 運転時の注意、栄養管理、体重管理 |
重篤な副作用への注意
間質性肺炎は、分子標的薬の重篤な副作用として注意が必要です。これは、薬剤によって肺の弾力性が失われ、呼吸をすることが困難になる病気です。EGFR阻害薬のゲフィチニブでは、間質性肺炎が起こる頻度は3~6%、副作用による死亡率は1~3%と報告されています。
男性の喫煙者が間質性肺炎になりやすく、逆に女性の非喫煙者では間質性肺炎の副作用は少ない傾向にあります。また、もともと間質性肺炎を合併している患者さんでは間質性肺炎が悪化する危険性が高くなります。
インフュージョンリアクション
抗体薬では、インフュージョンリアクションと呼ばれる副作用がみられることがあります。多くは投与開始直後から24時間以内に生じ、主な症状には、悪寒、発熱、皮疹、軽度の血圧低下、息苦しさなどがあります。
分子標的薬治療の適応と遺伝子検査
分子標的薬は、変異した遺伝子から作られたタンパク質を標的とするものがあります。一部のがんでは、このような分子標的薬を使った治療が標準治療になっています。
この治療では、まず、使用を検討している分子標的薬に対応する遺伝子変異があるかどうかを調べます(遺伝子検査)。検査の結果、変異がある場合は、その分子標的薬を使用します。
がんゲノム医療の進展
多数のがん遺伝子の変異を同時に調べる検査を「がん遺伝子パネル検査」といいます。また、がん遺伝子パネル検査の結果に基づいて行う医療を「がんゲノム医療」といいます。
がんゲノム医療は、標準治療が終了したり、珍しいタイプのがんであったりするなどの理由で、現状では治療法を見つけることが難しい場合の選択肢になることが期待されている医療です。
最新の分子標的薬開発動向
2024年には、日本人症例のゲノム解析を起点とした新しい分子標的薬タスルグラチニブが胆道がんの治療薬として承認されました。これは、FGFR2融合遺伝子を標的とするFGFRキナーゼ阻害剤で、難治性がんである胆道がんに対する新たな治療選択肢となっています。
また、抗体薬物複合体(ADC)のように、複数の機能をもつ薬も登場してきており、がん細胞を標的とする抗体に細胞障害性抗がん薬を結合させて、がん細胞を効率よく攻撃する薬も開発されています。
分子標的薬治療の今後の展望
分子標的薬治療は、対応する遺伝子変異や融合遺伝子がある患者さんには、高い効果が期待できる治療法です。日本人の肺腺がん患者さんの約半数にEGFR遺伝子の変異が、約5%にALK融合遺伝子が認められ、これらの患者さんには対応する分子標的治療薬が投与されます。
現在も新たな標的分子の発見と薬剤開発が活発に進められており、今後も年間10剤以上のペースで新薬が承認されることが予想されます。これにより、より多くのがん患者さんに個別化された効果的な治療が提供できるようになることが期待されています。
治療における注意点
分子標的薬の副作用は、使用する薬ごとにさまざまな特徴がありますので、医師や薬剤師の説明をよく聞いてしっかり確認しておくことが重要です。治療中や治療後に、いつもと違う体調の変化を感じたら、医師や薬剤師、看護師にすぐに相談しましょう。
分子標的薬治療は、一定の治療効果が認められる間は継続することが勧められています。治療の効果が認められなくなってしまったら、別の治療法を検討します。同じ遺伝子変異や融合遺伝子に対して複数の治療薬がある場合には、別の治療薬に変更することで効果を得られる可能性があります。
まとめ
分子標的薬は、がん治療において画期的な進歩をもたらした治療法です。2025年現在、190種類以上の分子標的薬が承認されており、がん患者さんの治療選択肢は飛躍的に拡大しています。
従来の抗がん剤と比較して、がん細胞を特異的に標的とするため副作用が軽減される一方で、特有の副作用もあることから、適切な管理と定期的な検査が重要です。今後も新たな標的分子の発見と薬剤開発が進み、より多くの患者さんに個別化された効果的な治療が提供されることが期待されます。
参考文献・出典情報
- 世界と日本で承認されたがん分子標的治療薬一覧 - フロンティアファーマ
- 薬物療法 もっと詳しく - 国立がん研究センター がん情報サービス
- 肺がんの「分子標的薬による治療」現在使用されている薬は?今後の動向は?
- 【2025年最新】がんの最新治療とは?治療の歴史と2025年最新情報まで解説
- 日本人でのゲノム解析から創製された新薬が難治性がんである胆道がんの治療薬として承認 - 国立がん研究センター
- Q43分子標的治療薬の副作用や注意したほうがよいことにはどのようなものがあるでしょうか
- 薬物療法で使われる薬の副作用と知っておきたい対処法について教えてください - 小野薬品
- 肺がんの分子標的治療薬の特徴と種類・副作用 - 中外製薬
- 抗がん剤と分子標的治療薬 - 再発転移がん治療情報
- 肺がん治療と副作用~薬物療法と副作用 - ファイザー