CAR-T細胞療法の開発経緯
CAR-T(カーティ)細胞療法の歴史を紐解くと、研究開始は1980年代です。
イスラエルのワイツマン研究所のジーリグ・エシュハー博士は、T細胞がより正確に「敵」であるがんを認識できるようにするため、がんの抗原に強力に接続する抗体のパーツをつくり、T細胞受容体に加える方法を考えました。
また、現・藤田医科大の黒澤良和博士たちが1987年に発表した「免疫グロブリンとT細胞受容体でつくったキメラ受容体」も原型のひとつとされます。
抗原認識部位をT細胞へ導入したことには成功しましたが、それだけではがんを十分に攻撃する力はありませんでした。
そこへ、攻撃を加速する共刺激分子をプラスするというアイデアが加わり、研究は大きく前進しました。
2007年、この方法でB細胞のがんをターゲットにした臨床試験をはじめたのが、米スローンケタリング記念がんセンターの免疫学者、ミシェル・サダレイン博士。
サダレイン博士は、T細胞の遺伝子を改変する技術を確立し、CARに共刺激分子を加えることを考案しました。
ところが、最初の臨床試験では、参加する患者を集めること自体が難航しました。人工的に改変したT細胞を患者の体に戻すことに、主治医たちが反発したためです。
サダレイン博士自身も当時「この治療法はサイエンス・フィクションのような印象をもたれるかもしれません。私も「クレイジーな考えでは」と自分自身に問い続けています」と話しています。それだけ類をみない治療だったといえます。
その後、最初の臨床試験の結果は、2011年に発表されました。
難治性の慢性リンパ性白血病と、再発してほかの治療法がない急性リンパ性白血病の患者9人へ、CAR-T細胞が投与されました。
すると、投与したCAR-T細胞ががんへ集積していることが確認できたほか、3人には一定の効果がありました。その後、さまざまな施設へ臨床試験が広がり、画期的な成果の発表が相次ぐことになりました。
サイトカイン放出症候群という副作用
CAR-T細胞療法の実用化に力を尽くしたもうひとりが、ペンシルベニア大のカール・ジューン教授です。
ジューン教授は1990年代、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)研究を通じ、CARを使うようになりました。妻を卵巣がんで亡くしたジューン教授ががん研究に打ち込み、CAR技術を使ったがん治療の実現を目標に据えたのは2001年のことでした。
ジューン教授は、2010年にB細胞のがんの患者への臨床研究を開始します。やがてジューン教授たちが開発したCAR-T細胞は、キムリアとして世界ではじめて承認されました
しかし、CAR-T細胞療法が実用化されるまでには、臨床試験の治療後に不幸にも命を落とす患者が相次ぎました。これはおもに、「サイトカイン放出症候群」(サイトカインリリースシンドローム)とよばれる副作用が原因です。
初期の臨床試験では、3分の1近い患者が重い副作用に見舞われました。
CAR-T細胞が体内に入り、免疫が活発になりすぎることによって、正常な自分の組織への攻撃が起こったためです。
これによって、高熱や筋肉痛、呼吸障害、低血圧、腎障害など全身に症状が広がります。その後、改善策として炎症を引き起こす「インターロイキン6」(IL-6)という物質を抑える薬「トシリズマブ」(商品名アクテムラ)に効果があるとわかりました。
免疫が活発になった患者の体内では、免疫細胞のマクロファージなどの活動度が高まります。
IL-6はマクロファージなどによってつくられ、この過剰な分泌が副作用を引き起こします。IL-6は免疫を調整する物質「サイトカイン」の一種で、過剰に分泌されると炎症を引き起こします。
アクテムラはIL-6というサイトカインが過剰にはたらいている状態(サイトカイン放出症候群)を抑える「抗IL-6抗体」薬です。
IL-6のはたらきを抑えてもT細胞には影響がないため、がんへの攻撃が弱まることはありません。副作用を抑える効果的な薬が発見されたことが、CAR-T細胞療法の実用化を大きくあと押ししたといえます。
ただし、CAR-T細胞療法は「人工物」を投与する治療であるため、長期にわたって患者の状態をフォローすることが求められます。
また、いったん体内のがんが消える「寛解」とよばれる状態になっても、がんが再発してしまうケースはあります。
理由は、CAR-T細胞の活動が患者の体内で弱まってしまうことと、がん細胞の表面にあったCD19抗原が消えてしまうことが考えられます。
それぞれCAR-T細胞の活動強度が弱まらないようにするにはどうしたらいいか、CD19以外の抗原をターゲットにできないか、などの対策が研究されています。
TCR-T細胞療法とは
CAR-T細胞療法以外にも、T細胞に遺伝子改変を施した治療法に「TCR-T細胞療法」があります。これは、がんを認識して戦うモードに入ったT細胞のセンサー「T細胞受容体」(TCR)の遺伝子を、患者から採取したT細胞へ導入し、患者に投与する治療法です。
患者の体のなかで戦闘モードのT細胞を育てるのではなく、すでに「がんとの戦い方を把握している」T細胞を体外でつくり、即戦力として送り込む、という仕組みです。これまでに、悪性黒色腫や肉腫に対する臨床試験が実施され、効果も確認されています。
CAR-T細胞は、がん細胞表面にでている抗原しか認識できませんが、TCR-T細胞は細胞内部の特徴も認識できる可能性があります。
一方で、TCR-T細胞はすでにがんになっている患者の遺伝子をもとにつくっているため、特定のがんを攻撃するために人工的につくったCAR-T細胞よりも限定的な効果になる可能性が指摘されています。
キムリアの問題点と対策
一部の血液がんでここまで劇的な成果があることがわかったCAR-T細胞療法は、ほかのがんへも応用ができないか、期待が高まっています。
ほかのがんで実用化するには、重要な課題があります。まず、CAR-T細胞の抗体が結びつく「対象となるがんに特有の抗原」をみつけなければなりません。もし、正常細胞の表面にも同じ抗原があった場合は、そこにもCAR-T細胞が接合して攻撃してしまうためです。
ではこの点についてキムリアど、すでに承認されている薬は、どのような作用で働くのでしょうか。
キムリアのターゲットはCD19抗原ですが、この抗原はB細胞の表面だけにあります。ただし、がんになったB細胞だけではなく、正常なB細胞もCD19をもっています。キムリアを投与すると、がんになったB細胞も正常なB細胞も攻撃されます。
B細胞の役割は「免疫グロブリン」という抗体をつくりだして、ウイルスなどに感染したときに対抗することです。
この免疫グロブリンは薬で補充することが可能であり、このため、CAR-T細胞がB細胞をすべて殺しても、患者は補充する薬を投与して回避しています。