抗がん剤は、がんの種類によってはすぐれた効果を発揮します。
たとえば一部の白血病や精巣がんは、抗がん剤治療だけで完治を望むこともできます。
いっぽう、抗がん剤が効きにくいがんも少なくありません。近年、日本人の発症率が非常に高い胃がんや大腸がん、肺がんなどです。これらのがんの患者の中には、抗がん剤治療を行ってもほとんど効果が得られず、単に副作用で苦しむだけという例も少なくないのです。
抗がん剤が効かない最大の理由は、これらのがんの細胞が、もともと抗がん剤の攻撃に耐え抜く性質=薬剤耐性(一次耐性や自然耐性などがあります)を備えているためと考えられています。
薬剤耐性は抗がん剤治療を難しくさせていてる大きな原因です。たとえ治療を開始した当初は抗がん剤がよい効果を示したとしても、耐性によりだんだん効かなくなってきます。がんが最初の抗がん剤の攻撃によっていったんは弱っても、その攻撃に生き残ったがん細胞があれば、それらは薬剤耐性を身につけてふたたび勢いを得て増殖するのです。
こうなると最初の抗がん剤はもはや使用できなくなり、効果のある別の抗がん剤を探さざるを得ないことになります。
薬剤耐性はさまざまな要素がからみ合って生じると考えられますが、そのしくみは少しずつ解明されています。がん細胞は、たとえば次のような能力によって薬の効果を無力化すると見られています。
【1】細胞内部に入った薬を外に排出する。
【2】アポトーシス(細胞の自殺)を回避する。
【3】抗がん剤が標的とするたんぱく質の構造が変化し、抗がん剤が作用しなくなる。
【4】抗がん剤を活性化する酵素の能力が低下する。
【5】抗がん剤を分解する酵素が活発にはたらく。
これらの中でも、薬剤耐性をもつ大部分のがんに当てはまり、もっとも重要と考えられている性質は【1】と【2】と【3】です。
【1】の細胞内部から薬を排出するしくみには、「ABC輸送体(ABCトランスポーター)」と呼ばれるさまざまな分子が関わっています。その代表は「P糖たんぱく質」と呼ばれ、がん細胞の細胞膜を貫くように存在しています。このたんぱく質は、がん細胞に特有な分子ではなく、健康な細胞にも存在します。
P糖たんぱく質は本来、体外から有毒な物質が入ってきたときに、それを細胞外に排除するはたらきをもっています。しかし抗がん剤もまた細胞にとっては有毒・有害な物質であるため、薬が細胞内に入り込むとP糖たんぱく質はそれをポンプのように細胞外に排出してしまいます。
薬剤耐性をもつがんの多くでは、このP糖たんぱく質が細胞にたくさん発現しています。そのため、せっかくがん細胞の中に入った抗がん剤も、細胞やその遺伝子(DNA)を傷つけることなく、がん細胞を素通りしてしまうのです。
ついで重要な薬剤耐性の要因は【2】のアポトーシス喪失です。従来の抗がん剤の多くは遺伝子を傷つけるはたらきをもっています。正常な細胞は、DNAが抗がん剤によって修復できないほど傷ついたことを感知すれば、アポトーシスによって自ら死んでしまいます。
ところが、がん細胞は遺伝子が変異をくり返すうちにアポトーシスのしくみを失うことがあります。このようながん細胞は遺伝子が傷ついても自殺せず、平然と増殖を続けます。がん細胞がこのような"死なない性質"をもつことを「不死化」といいます。
場合によっては、がん細胞の遺伝子が抗がん剤に傷つけられていっそう悪性化したり不死化したりする可能性さえあります。このような薬剤耐性を身につけたがん細胞を抗がん剤で死滅させることは、いまのところ大変困難です。近年注目されているがん幹細胞(がん細胞を生み出す細胞)も、もともと薬剤耐性を備えていると見られ、この種の細胞に対してどう治療を進めるかが問題になっています。
薬剤耐性の問題は、従来型の抗がん剤だけでなく新しい抗がん剤である分子標的薬にもあてはまります。そこでいま、がん細胞に薬剤耐性をもたせないようにする薬の研究も行われていますが、いまのところ期待できるほどの成果は得られていないようです。
以上、抗がん剤に関するお話でした。