腫瘍崩壊症候群(TLS)の基本的な理解
腫瘍崩壊症候群(Tumor Lysis Syndrome:TLS)は、がん治療において医療関係者が最も警戒する急性副作用の一つです。化学療法、放射線治療、その他の抗がん治療によって、大量のがん細胞が短時間で死滅する際に発生する生命に関わる合併症です。
この症候群は、がん細胞が急速に破壊されることで、細胞内に蓄積されていた大量のカリウム、リン酸、核酸が血液中に一気に放出されることで起こります。通常、TLSはがん治療開始から12~72時間以内に現れる特徴があります。
腫瘍崩壊症候群の分類と診断基準
TLSは医学的に2つのカテゴリーに分類されています。
Laboratory TLS(LTLS)は、血液検査で確認できる異常値を指します。高尿酸血症、高カリウム血症、高リン血症のうち2つ以上が、化学療法開始3日前から開始後7日以内に同時に認められる状態です。
Clinical TLS(CTLS)は、LTLSに加えて実際の症状が現れた状態で、直ちに積極的な治療介入が必要となります。腎機能障害、不整脈、痙攣、突然死のいずれかを伴う重篤な病態です。
検査項目 | 基準値(成人) | 症状 |
---|---|---|
高尿酸血症 | 尿酸値 > 8mg/dL | 腎機能障害 |
高カリウム血症 | カリウム > 6.0mEq/L | 致死性不整脈 |
高リン血症 | リン > 4.5mg/dL | リン酸カルシウム沈着 |
低カルシウム血症 | カルシウム < 7.0mg/dL | 痙攣、テタニー |
腫瘍崩壊症候群が起こりやすいがんの種類
従来、TLSは造血器腫瘍(血液がん)で多く見られると考えられていました。急性白血病では4.4~26.4%、急性骨髄性白血病では3.4~17%の頻度で発生が報告されています。悪性リンパ腫についても、種類によって低リスクから高リスクまで様々な発現頻度が認められています。
しかし、近年の抗腫瘍効果の高い新薬の開発により、固形がんでのTLS発現も増加傾向にあります。肝細胞がんに対するソラフェニブ、大腸がんに対するベバシズマブやセツキシマブ、腎細胞がんに対するスニチニブ、乳がんに対するトラスツズマブなどの分子標的治療薬でも報告されています。
2024年最新:新たなリスク薬剤の追加
令和5年12月1日に厚生労働省から発出された最新の注意喚起では、新たにステロイド(デキサメタゾン、プレドニゾロン、ベタメタゾン、コルチゾンなど)、BRAF阻害剤のエンコラフェニブ、MEK阻害剤のビニメチニブにおける腫瘍崩壊症候群のリスクが追加されました。
また、CAR-T細胞療法などの新しい免疫療法でも、TLSの発生が報告されており、がん治療の進歩とともにリスク対象薬剤は拡大しています。
腫瘍崩壊症候群の症状と進行経過
TLSの症状は連鎖的に現れる特徴があります。まず治療開始から6時間以内に高カリウム血症が現れ、筋力低下、知覚異常、嘔気、嘔吐などの消化器症状が起こります。
24~48時間後にはリン、カルシウム、尿酸の値が変動し始めます。高尿酸血症により急性尿酸腎症が発生し、リン酸カルシウムの尿細管への沈着が起こります。この段階で血清クレアチニン値が上昇し、急性腎不全へと進行します。
さらに進行すると、乳酸アシドーシスが現れることがあります。血中乳酸値が4mEq/L以上となり、pH<7.37を示す代謝性アシドーシスで、意識障害や血圧低下、頻脈といった重篤な症状を呈します。
腫瘍崩壊症候群のリスク評価
日本臨床腫瘍学会のTLS診療ガイダンスでは、リスク評価を3段階で実施することが推奨されています。
高リスク疾患(発現率5%以上)には、バーキットリンパ腫、急性リンパ芽球性白血病のL3型、T細胞性リンパ芽球性リンパ腫、白血球数の多い急性白血病が含まれます。
中間リスク疾患(発現率1~5%)には、その他の悪性リンパ腫の一部や特定の固形がんが分類されます。
低リスク疾患(発現率1%未満)でも、腎機能障害や腫瘍量の多さなどの因子により、リスクが上昇することがあります。
腫瘍崩壊症候群の予防方法
TLSは一度発症すると致死率が高いため、予防が最も重要です。予防策は以下の通りです。
水分負荷と利尿が基本となります。化学療法開始の24~48時間前から大量補液を開始し、尿量を100mL/m²/時以上に保ちます。輸液量は一般に3,000mL/m²/24時間以上が推奨され、生理食塩水または0.45%食塩水などのカリウムおよびリン酸を含まない製剤を使用します。
薬物療法では、アロプリノール(保険適用外)またはフェブキソスタット(保険適用あり)による尿酸生成阻害が行われます。フェブキソスタットは腎機能障害患者でも用量調節が不要で、安全性が高いとされています。
高リスク患者では、遺伝子組み換え型尿酸オキシダーゼであるラスブリカーゼの投与も検討されます。これは尿酸をアラントインに代謝し、血中尿酸濃度を急速に低下させます。
腫瘍崩壊症候群の治療方法
TLSが発症した場合、速やかな対応が生命予後を左右します。
高カリウム血症に対しては、Glucose-Insulin療法、陽イオン交換樹脂投与、フロセミド投与などが行われます。血清カリウム値が7.0mEq/L以上では致死性不整脈の危険が高まるため、緊急的な処置が必要です。
急性腎不全や重篤な電解質異常に対しては、血液浄化療法(血液透析、持続的血液濾過透析)の早期導入が推奨されています。TLSでは通常の腎不全よりも低い基準で導入されることが一般的です。
乳酸アシドーシスは死亡率が高いため、早期診断と迅速な対応が重要です。ショックの是正、透析などの治療が行われますが、救命率は4~5割程度とされています。
患者さんが知っておくべき警告サイン
がん治療を受ける患者さんは、以下の症状に注意が必要です。
治療開始後12~72時間以内の尿量減少は、最も重要な警告サインです。通常の尿量よりも明らかに少なくなった場合、すぐに医療者に連絡することが重要です。
その他、筋力低下、手足のしびれ、嘔気・嘔吐、息苦しさ、意識がもうろうとする、痙攣などの症状が現れた場合も、直ちに医療機関を受診する必要があります。
水分摂取も重要な予防策の一つです。医師の指示に従い、適切な水分補給を心がけることで、TLSのリスクを軽減できます。
新しい治療法とTLSリスク
近年注目されているCAR-T細胞療法でも、TLSの発生が報告されています。CAR-T細胞療法は患者さん自身のT細胞を遺伝子改変してがん細胞への攻撃力を高める治療法で、急性リンパ性白血病や悪性リンパ腫などで高い治療効果を示しています。
しかし、CAR-T細胞が体内でがん細胞を攻撃する過程で、大量のがん細胞が急速に破壊されるため、TLSのリスクが高まります。そのため、CAR-T細胞療法を実施する際も、TLSの予防と監視が重要視されています。
医療従事者との連携の重要性
TLSの予防と早期発見には、医療チーム全体での連携が不可欠です。がん専門医、薬剤師、看護師が協力して、リスク評価、予防策の実施、症状の監視を行います。
患者さんとご家族も、この医療チームの重要なメンバーです。治療前の説明をよく聞き、警告サインを理解し、何か気になることがあれば遠慮なく医療者に相談することが、最良の治療結果につながります。
今後の展望
TLS診療ガイダンスは2021年に第2版が改訂され、新規分子標的治療薬や免疫療法薬の登場に対応した内容になっています。今後も新しい治療法の開発とともに、TLSのリスク評価と対策も継続的に更新されていくと予想されます。
固形がんに対する有効な薬剤の増加により、以前は造血器腫瘍のリスクと考えられていたTLSが、より幅広いがん種で問題となる可能性があります。