発がん物質とは何か
テレビでも「この成分は発がん物質で」といった報道を目にする機会が増えています。
では、この「発がん物質」とは具体的に何を指すのでしょうか。また、どのような作用によってがんを誘発するのでしょうか。
「発がん物質」という言葉を聞くと、その物質が体に入ったり皮膚に触れたりしただけで、正常な細胞ががん細胞に変わるような印象を受ける方もいるかもしれません。しかし、実際にはそのような単純な仕組みではありません。
発がん物質とは、細胞内のDNAを傷つけて遺伝子を変化させる物質のことを指します。細胞内の遺伝子が変化(変異)を繰り返すことで、正常な細胞ががん細胞に変わる(がん化)ことがあります。細胞のがん化についてのこれまでの研究では、たとえ発がん物質とされる物質を食べたりそれらに触れても、それによって直ちに正常な細胞ががん細胞に変わることはほとんどないことが分かっています。
がん細胞が生まれるまでには、細胞が遺伝子のレベルでいくつもの変異を重ねる必要があります。また、どのような物質が遺伝子の変化のどの段階で、どのような仕組みで細胞をがん化させるかについても、まだ解明されていない部分が多くあります。
発がん性の判断基準と科学的根拠
それでも、ある種の物質に発がん性があると言えるのはなぜでしょうか。それは、多くの動物実験の結果や、特定の職業とがん発症の関係、生活習慣や食習慣とがんの関係などを示す長年のデータから、統計的にそのような結論が引き出されているからです。
世界保健機関(WHO)の国際がん研究機関によると、人工物や自然界の物質を含め、人間に対して明らかな発がん性を示す物質は100種類以上、疑わしい物質は330種類にのぼります。ただし、これらの物質の発がん性は同じではなく、発がん性の強いものと弱いものでは100万倍もの差があります。
タバコに含まれる発がん物質成分
発がんとの関係が最もよく知られているのはタバコの煙です。タバコの煙には5300種類もの化学物質が含まれています。そのうち、ベンツピレン、ホルムアルデヒド、ニトロソアミンなど70種類以上が発がん物質とされており、他にも多くの物質の発がん性が疑われています。
とりわけベンツピレンは、今から70年以上前に石炭タールの中から発がん物質として取り出されたという歴史を持っています。またニトロソアミンはニコチンが分解されてできる物質で、食物の消化によって体内で作り出される発がん物質でもあります。この物質は、食べ物に含まれているアミン類と亜硝酸という2つの物質が胃の中で反応することによって生じます。
喫煙者のがんリスク、つまりがんを発症する確率は非喫煙者の1.5倍です。これは1シーベルト(=1000ミリシーベルト=100万マイクロシーベルト)の放射線を一度に浴びたときと同程度がんのリスクが高まることを意味します。
ダイオキシンと発がん性の関係
日本で1990年代、人体に悪影響を及ぼすとして注目されたのが、廃棄物の焼却などの際に大気中に放出されるダイオキシン類です。ダイオキシンは以前から、強い毒性と胎児の催奇性(胎児を奇形化させる性質)を持つことが知られており、世界保健機関(WHO)も、一部を発がん物質のリストに加えました。
しかし最近の研究では、ダイオキシンは直接遺伝子を傷つけるのではなく、他の発がん物質が遺伝子を傷つける作用を強めていると見られています。
最も悪性度が高い発がん物質アフラトキシン
私たちの生活環境に存在する物質で最も発がん性が高いものは何でしょうか。これまでに知られているところでは、それはピーナッツなどのナッツ類に発生するカビが放出する毒素「アフラトキシン」です。
1960年にイギリスで10万羽以上の七面鳥が中毒死しました。その原因物質として発見されたのが、ピーナッツミールに含まれていたアフラトキシンでした。この物質は、生物の体内でDNAが複製されるときにこれを損傷し、がんを発症させると見られています。
毒物とされる物質には通常、何日も続けて摂取しても危険がないとされる上限が定められています。しかしアフラトキシンに限っては日本の食品安全委員会はできる限り低くするべきとし、上限を設定していません。これは、アフラトキシンがわずかでも検出された食品は流通させてはならないということです。
実際にネズミを使った実験では、餌にアフラトキシンをごく低濃度(餌1グラムあたり10億分の15グラム)混ぜただけで、すべてのネズミが肝臓がんを発症したという報告があります。
このように発がん物質は自然界にも多く存在します。前述のニトロソアミンに見られるように、発がん物質は体内でも作られます。なかでも発がん性が強く疑われているものに「活性酸素」があります。
活性酸素と発がんメカニズム
私たちの体内では、新しい細胞を作ったりエネルギーを生み出したりするなどの生命活動を行うため、無数の化学反応が起こっています。これらの反応をスムーズに起こすために重要な働きをしているのが酸素です。
ところが、酸素と他の物質との化学反応が起こる際に、しばしば活性酸素という他の物質と異常に反応しやすい不安定な物質が作り出されます。これが細胞中のDNAを傷つけると、がんが発生する可能性があります。
もっとも私たちの体は、こうした活性酸素を取り除く特殊な酵素(SOD)も作り出し、活性酸素が遺伝子を傷つけるのを防いでいます。しかし臓器によってはこのSODが少ないこともあり、そのような臓器では活性酸素によって細胞ががん化しやすいと考えられています。
食べ物と発がん性の関係
食物や、体内で食物が分解されてできた物質ががんを引き起こす可能性もあります。人間のすべてのがんの35パーセントは食事によって発生するとする研究報告もあります。
多くの食物には、ごく弱い発がん性を持つさまざまな物質がわずかながら含まれています。食物からこれらを完全に取り除くことは現実には不可能ですが、少なくとも前述のニトロソアミンの生成はビタミンCによって抑えられることが分かっています。
ビタミンCとがん予防の科学的検証
ノーベル賞を2度受賞した有名なアメリカの科学者ライナス・ポーリングは早くからビタミンCの効果に気づき、「メガビタミン理論」と名づけて、講演や著作で繰り返し人々にビタミンCの摂取を勧めました。
博士自身も毎日大量のビタミンCを服用し、93歳の長寿を全うしましたが、彼の死因は大腸がんでした。またメガビタミン療法を早くから実施していたポーリングの妻も、75歳で胃がんで亡くなっています。
これらの例が示すように、ビタミンCの大量服用によって必ずがんを予防できるということはなく、またビタミンCはかぜをはじめ「万病に効く」という主張にも科学的な根拠はありません。
食生活で発がん物質の影響を抑える方法
食生活への少しの配慮によって、食物中の発がん物質の影響を抑えることができます。そのひとつは、体内で消化吸収されない発がん物質をすみやかに体外に出すために「排泄を早める」ことです。便秘と大腸がんの関係は統計的に示されています。
食物繊維の多い食事によって消化管の働きを活発にすれば排泄が早まり、発がん物質が体と接触している時間を短くすることができます。これは誰でも実践できる予防法のひとつと言えます。
身近にある発がん物質一覧と関連するがんの種類
以下に、私たちの生活環境に存在する主な発がん物質とそれぞれに関連するがんの種類を一覧で示します。
発がん物質 | 関連するがんの種類 | 主な曝露源 |
---|---|---|
アフラトキシン | 肝臓がん、胆管がん | カビの生えた穀物、木の実類、綿の実など。汚染された飼料を食べた家畜の卵、乳、肉類からも検出されることがあります。 |
アスベスト(石綿) | 咽頭がん、喉頭がん、肺がん、中皮腫、胃がん、結腸がん、直腸がん、卵巣がん | 1980年代まで耐火材料、保温材料、建造物などに使用。日本では2006年に一部の製品を除いて製造・輸入使用が禁止されました。 |
アルコール飲料 | 口腔がん、咽頭がん、喉頭がん、食道がん、上部消化管のがん、結腸がん、直腸がん、肝臓がん、胆管がん、膵臓がん、乳がん | ビール、ワイン、蒸留酒など。アルコールは代謝によってアセトアルデヒドに変化します。喫煙により危険度が上昇します。 |
イソプロピルアルコール | 鼻腔がん、副鼻腔がん | 塗装剥離剤や医療用の消毒液、有機溶剤などに使用されています。 |
酸化エチレン | 白血病、悪性リンパ腫、乳がん | 薬品や化学製品の材料。医療器具、スパイス、穀物、家畜の飼料などの殺菌用にも使用されます。 |
カドミウムとカドミウム化合物 | 肺がん、腎臓がん、前立腺がん | 水中生物の貝類やエビ、イカなどに蓄積されやすい。アルカリ電池の電極や顔料、自動車のメッキなどに使用されています。 |
シリカ(空気中の結晶状粒子) | 肺がん | 石英の削りかすなどが空気中の結晶状シリカとなります。窯業、陶業、建設現場、石切場などで曝露のリスクがあります。 |
ラドン | 白血病、悪性リンパ腫、肺がん | 気体として存在する放射性物質。火成岩や水に含まれていることもあります。鉱山労働者、地下作業従事者は注意が必要です。 |
ベンゼン | 白血病、悪性リンパ腫 | プラスチック、樹脂、ゴム、薬剤などの材料や溶剤として使用されます。タバコの煙にも含まれています。 |
塩化ビニール | 肝臓がん、胆管がん | 上下水道や工業用パイプ、建材、車両、包装材、塗料、断熱材など幅広い分野で使用されています。 |
タバコに含まれる発がん物質成分の詳細
タバコの煙の中には5300種もの化学物質や金属が見つかっており、その中にはベンツピレン、ベンゼン、ホルムアルデヒド、ニトロソアミン、ウレタン、ヒ素、クロム、ニッケルなどの発がん物質および発がん性が疑われる物質が含まれます。嗅ぎタバコやかみタバコも同様です。
タバコとの関連が指摘されているがんには、白血病(喫煙者の子どもは幼少期に発症の可能性)、悪性リンパ腫、鼻腔がん、副鼻腔がん、口腔がん、咽頭がん、喉頭がん、肺がん、食道がん、胃がん、結腸がん、直腸がん、肝臓がん、胆管がん(喫煙者の子どもも)、膵臓がん、腎臓がん、腎盂がん、膀胱がん、尿管がん、乳がん、子宮頸がん、卵巣がんなど、多岐にわたります。
タールと鉱物油の発がん性
タール(コールタール)は防腐剤・塗料として利用されるほか、殺菌剤やさまざまな薬品化粧用品(化粧水、クリーム、石鹸、シャンプーなど)の材料となります。鉱物油は精製されてエンジンオイルや機械油として利用され、肺がん、膀胱がん、皮膚がんとの関連が指摘されています。
ヒ素・無機ヒ素化合物の用途とリスク
半導体材料や木材腐食防止剤、除草剤、殺虫剤、乾燥剤などに利用されます。金属ヒ素は半導体材料などに利用されます。肺がん、肝臓がん、胆管がん、腎臓がん、膀胱がん、前立腺がん、皮膚がんとの関連が報告されています。
発がん物質への曝露を減らすための実践的アプローチ
発がん物質は自然界にも人工的な環境にも広く存在しており、完全に避けることは困難です。しかし、以下のような日常的な対策によって、曝露のリスクを減らすことができます。
まず、禁煙は最も効果的な予防策のひとつです。タバコには多数の発がん物質が含まれており、自身の健康だけでなく、受動喫煙による周囲への影響も考慮する必要があります。
食品の選び方も重要です。カビの生えた食品は避け、適切に保存された新鮮な食品を選ぶことで、アフラトキシンなどの曝露を減らすことができます。また、アルコールの摂取は適量にとどめることが推奨されています。
職業上の曝露については、該当する業種で働く方は適切な保護具の使用や作業環境の改善が必要です。アスベストや化学物質を扱う職場では、労働安全衛生法に基づいた対策が求められます。
発がん物質に関する2025年の最新動向
2025年現在、発がん物質に関する研究は継続的に進展しています。国際がん研究機関(IARC)は定期的に発がん性物質のリストを更新しており、新たな科学的知見に基づいて評価が見直されています。
日本国内でも、厚生労働省や食品安全委員会が最新の研究成果を踏まえて、食品添加物や化学物質の規制を適宜見直しています。市民の皆さんは、こうした公的機関からの情報に注目し、科学的根拠に基づいた判断を心がけることが大切です。
また、予防医学の観点から、定期的な健康診断やがん検診の受診も重要です。早期発見によって治療の選択肢が広がり、予後の改善につながります。
発がん物質についての正しい理解
発がん物質について理解する際に重要なのは、リスクの大きさを正しく認識することです。発がん物質とされる物質でも、その発がん性の強さには大きな差があります。また、曝露量や曝露期間によってもリスクは変わってきます。
過度に恐れる必要はありませんが、科学的な知見に基づいて、避けられるリスクは避ける、という姿勢が大切です。バランスの取れた食生活、適度な運動、禁煙、適正な飲酒量の維持など、基本的な健康習慣を守ることが、がん予防の基本となります。
発がん物質に関する情報は日々更新されています。信頼できる公的機関や医療機関からの情報を参考に、自身と家族の健康を守るための知識を身につけていくことが重要です。