抗がん剤による治療において、最も深刻な課題の一つが薬剤耐性の問題です。治療開始時には効果を示していた抗がん剤が、時間の経過とともに効果を失い、がんが再び増殖を始める現象は多くの患者さんで経験されています。本記事では抗がん剤耐性のメカニズムと治療抵抗性について詳しく解説します。
薬剤耐性とは何か
薬剤耐性とは、抗がん剤が効かなくなる、または効きにくくなる現象のことです。この現象は大きく二つのタイプに分類されます。
自然耐性(内因性耐性)
自然耐性は、治療開始当初から抗がん剤の効果が得られにくい状態です。がん組織内には様々な特性を持つ細胞が混在しており、がん幹細胞やストレスに強い特性を持つがん細胞が、もともと抗がん剤に対する抵抗力を持っている場合があります。これらの細胞は治療の影響を受けにくく、治療後も生存し続ける可能性があります。
獲得耐性(後天性耐性)
獲得耐性は、治療の過程で徐々に効果が得られなくなる状態です。がん細胞は生存のため、抗がん剤の成分を排出したり、薬剤が効かないように細胞の性質を変化させたりします。この変化により、薬剤耐性を得て生き残ったがん細胞が増殖し、再発がんとなります。
治療抵抗性が生まれる主要なメカニズム
二次変異による薬剤結合部位の変化
薬剤耐性の最も重要なメカニズムの一つが、がん細胞内で発生する二次変異です。特に分子標的薬において、薬剤が結合する標的タンパク質に変異が生じると、薬剤の結合能力が低下し、治療効果が失われます。
代表的な例として、肺がんにおけるEGFR(上皮成長因子受容体)の変異があります。EGFR遺伝子変異陽性の肺がん患者さんに対して、ゲフィチニブ(イレッサ)やエルロチニブ(タルセバ)などの第1世代EGFR阻害薬が使用されますが、約50%の症例でT790M変異という二次変異が発生します。
T790M変異は、EGFR遺伝子の790番目にあるアミノ酸がトレオニン(T)からメチオニン(M)に変化する変異で、「ゲートキーパー変異」とも呼ばれます。この変異により、EGFRのATP親和性が高まり、相対的に抗がん剤の結合性が低下するため、薬剤が効かなくなります。
がん幹細胞による治療抵抗性
2024年の最新研究により、がん幹細胞が薬剤耐性において重要な役割を果たしていることが明らかになっています。がん幹細胞は「女王蜂」のような存在で、自己複製能力と多分化能力を持ち、少数でも元の腫瘍と同様の腫瘍を形成する能力があります。
従来の抗がん剤や放射線治療は、活発に増殖する細胞を標的としています。しかし、がん幹細胞は細胞周期を静止期に保ち、休眠状態を維持しているため、これらの治療に対して高い抵抗性を示します。慶應義塾大学の研究チームは、がん幹細胞が細胞外基質(基底膜)にしがみつくことで休眠状態を維持し、基底膜との接着が弱まるとYAPシグナルの活性化とともに増殖を再開することを発見しました。
腫瘍の可塑性と不均一性
がん組織は可塑性(plasticity)と不均一性(heterogeneity)を備えた細胞集団で構成されています。この特性により、一部のがん細胞が治療に対して抵抗性を示し、生き残ることができます。理化学研究所の2024年の研究では、ARID1A欠損がん細胞において薬剤耐性獲得後に免疫原性の高いネオ抗原が増加することが明らかになりました。
エピゲノム変化による薬剤耐性
東京医科歯科大学の研究グループは、抗血管新生剤の長期治療により、生体内でがん細胞遺伝子のエピゲノム変化が起こり、薬剤耐性化を引き起こすメカニズムを解明しました。プロモーター領域のDNA脱メチル化およびヒストン活性化修飾が起こることで、がん幹細胞化に関与するthymosin beta 4(Tβ4)の遺伝子発現が誘導され、治療抵抗性を獲得することが示されました。
具体的な薬剤耐性の例
肺がんにおけるEGFR阻害薬耐性
EGFR遺伝子変異陽性非小細胞肺がんの治療において、薬剤耐性は段階的に発生します。
治療段階 | 使用薬剤 | 耐性メカニズム | 対処法 |
---|---|---|---|
第1段階 | ゲフィチニブ、エルロチニブ | T790M二次変異(約50%) | オシメルチニブへの変更 |
第2段階 | オシメルチニブ | C797S変異の追加 | 第4世代EGFR阻害薬の開発中 |
第3段階 | 第4世代薬 | 複数変異の蓄積 | 併用療法の検討 |
がん研究会の最新研究では、オシメルチニブ耐性のEGFR変異(T790M+C797S)肺がん細胞に対して、ブリグチニブと抗EGFR抗体の併用療法が有効である可能性が動物実験で確認されています。
メラノーマにおけるBRAF阻害薬耐性
BRAF変異陽性メラノーマにおいて、ベムラフェニブなどのBRAF阻害薬が使用されますが、約半年で薬剤耐性が発生します。東京薬科大学の研究により、ZIC5というタンパク質が薬剤耐性の獲得に重要な役割を果たしていることが明らかになりました。ZIC5を阻害することで、薬剤耐性の抑制が可能であることが示されています。
薬剤耐性克服への新しいアプローチ
免疫療法との併用
理化学研究所の研究により、薬剤耐性がん細胞において新たに生成されたネオ抗原が免疫療法の標的として利用できることが示されました。薬剤耐性ARID1A欠損腫瘍では、免疫チェックポイント阻害剤に対する応答性が増加し、ネオ抗原ワクチンとの併用療法により高い抗腫瘍効果が確認されています。
がん幹細胞を標的とした治療
京都大学の研究グループは、微生物由来の中分子化合物「レノレマイシン」が、がん幹細胞に対して選択的な殺細胞効果を示すことを発見しました。また、慶應義塾大学の研究では、YAPシグナルを阻害する薬剤が化学療法後のがん幹細胞の再増殖を抑制することが動物モデルで確認されています。
静止期追い出し療法
東京大学医科学研究所らの研究により、Fbxw7というタンパク質ががん幹細胞を静止期に維持していることが明らかになりました。Fbxw7の働きを抑制することで、がん幹細胞を静止期から増殖期に移行させ、抗がん剤の効果を高める「静止期追い出し療法」の概念が提唱されています。
将来の治療戦略
個別化医療の進展
がん遺伝子パネル検査の普及により、個々の患者さんのがんの遺伝子変異プロファイルに基づいた治療選択が可能になっています。薬剤耐性変異の早期検出により、適切なタイミングでの治療変更が期待されます。
第4世代分子標的薬の開発
既存の薬剤に対する多重耐性変異に対応するため、大環状構造を持つ第4世代EGFR阻害薬(BI-4020、BLU-945など)の開発が進められています。これらの薬剤は、従来の薬剤では対応困難な複数変異に対しても効果を示すことが期待されています。
併用療法の最適化
単剤治療の限界を克服するため、作用機序の異なる薬剤を組み合わせた併用療法の研究が活発に行われています。分子標的薬と免疫療法、化学療法との組み合わせにより、薬剤耐性の発生を遅らせる可能性があります。
患者さんが知っておくべきこと
薬剤耐性は避けられない現象ですが、継続的な研究により新しい治療選択肢が開発されています。定期的な検査により薬剤耐性の兆候を早期に発見し、適切なタイミングで治療方針を変更することが重要です。
また、薬剤耐性が発生した場合でも、新しい治療法や臨床試験への参加など、様々な選択肢があります。
今後の展望
2025年現在、薬剤耐性克服に向けた研究は急速に進歩しています。がん幹細胞を標的とした治療法、免疫療法との併用戦略、エピゲノム修飾を標的とした新しいアプローチなど、多角的な研究が行われています。これらの研究成果により、将来的にはより効果的で持続性のあるがん治療が実現することが期待されています。
参考文献・出典情報
- 理化学研究所「薬剤耐性を介した免疫原性ネオ抗原の機能性促進」(2024年9月)
- がんプラス「がんの薬剤耐性と克服の可能性―ALK阻害薬と免疫チェックポイント阻害薬の耐性機構研究」
- 日本医療研究開発機構「がんが生体内で治療抵抗性を獲得するメカニズムを解明」(2017年)
- がん研究会「がん幹細胞の治療抵抗性と攻略因子」
- 日本生化学会「薬剤耐性を制御する新たな分子機構」(2019年)
- 慶應義塾大学「大腸がん幹細胞が化学療法後に再発するメカニズムを解明」(2022年)
- がん研究会「EGFR遺伝子変異陽性肺がんに対する薬剤耐性克服薬候補の発見」
- がん情報サイト「オンコロ」「EGFR T790M遺伝子変異」
- 日本医療研究開発機構「がん遺伝子変異の高速評価を可能とするハイスループット機能解析法の開発」(2017年)
- がんプラス「がんの親玉『がん幹細胞』を選択的に死滅させる中分子化合物を発見」(2022年)