胃がんにおける化学療法の位置づけ
胃がん治療では、切除可能な状態であれば手術が最優先の選択肢となります。しかし、診断時にすでに転移が認められる進行胃がんや、手術後に再発した胃がんでは、化学療法が治療の中心になります。
胃がんは他のがん種と比較して、化学療法の効果が得られにくいという特徴があります。さらに使用できる薬剤の選択肢が限られていたことも、長年の課題でした。
ただし2017年以降、新しい薬剤が相次いで承認され、治療の選択肢は着実に広がっています。特に免疫チェックポイント阻害剤や新しい分子標的薬の登場により、患者さんの状態に応じた個別化治療が可能になってきました。
この記事では、胃がんで実施される化学療法について、使用される薬剤の種類、投与の順序、それぞれの特徴などを整理して説明します。
胃がん治療で使われる薬剤の全体像
現在、胃がんの標準治療で使用される薬剤は、大きく分けて「抗がん剤」「分子標的薬」「免疫チェックポイント阻害剤」の3つに分類されます。
まず、標準的な治療で使われている主な薬剤を表にまとめました。
| 分類 | 標的・作用機序 | 薬剤名 |
|---|---|---|
| 分子標的薬 | HER2 | ハーセプチン(トラスツズマブ) |
| VEGFR | サイラムザ(ラムシルマブ) | |
| CLDN18.2 | ゾルベツキシマブ(2024年承認) | |
| 免疫チェックポイント阻害剤 | PD-1 | オプジーボ(ニボルマブ)、キイトルーダ(ペムブロリズマブ) |
| 抗がん剤 | フッ化ピリミジン系 | TS-1、ゼローダ、5-FU |
| プラチナ系 | シスプラチン、エルプラット(オキサリプラチン) | |
| タキサン系 | タキソール、タキソテール、アブラキサン | |
| トポイソメラーゼ阻害薬 | イリノテカン |
これらの薬剤は、患者さんのがんの特性や進行度、体調などに応じて組み合わせて使用されます。
治療開始前に行われる重要な検査
化学療法を計画する際、最初に実施されるのが「HER2遺伝子検査」です。この検査は治療方針を決定する上で極めて重要な位置づけにあります。
HER2検査では、胃がん細胞を採取して表面を調べ、HER2というタンパク質が過剰に発現しているかどうかを確認します。この検査結果により、使用できる薬剤が大きく変わってきます。
HER2が陽性と判定された場合、分子標的薬のハーセプチンが使用可能になります。分子標的薬は、従来の抗がん剤のように「毒性でがん細胞を攻撃する」というメカニズムではなく、がん細胞に特有の分子を標的として作用します。
そのため効果が得られやすく、副作用も比較的軽いという利点があります。ただし胃がんでHER2陽性となる割合は約15〜20%で、多くの患者さんはHER2陰性となります。
また近年では、がん細胞の遺伝子変異や免疫状態を調べる「バイオマーカー検査」も重要性を増しています。特にMSI-High(マイクロサテライト不安定性が高い)やPD-L1発現の有無は、免疫チェックポイント阻害剤の使用可否を判断する指標となります。
一次治療での薬剤選択と使用方法
HER2陽性の場合の治療
HER2陽性と判定された患者さんでは、一次治療として「ハーセプチン」+「フッ化ピリミジン系薬剤」+「プラチナ系薬剤」の3剤併用療法が標準となります。
具体的には、フッ化ピリミジン系としてTS-1またはゼローダ、プラチナ系としてシスプラチンまたはエルプラットを組み合わせます。多くの医療機関では「ハーセプチン+TS-1+シスプラチン」の組み合わせで開始されることが一般的です。
ハーセプチンとゼローダの併用は、臨床試験で良好な成績が報告されており、HER2陽性の患者さんではこの組み合わせも選択肢となります。
HER2陰性の場合の治療
HER2陰性の患者さんでは、ハーセプチンは使用できないため、「フッ化ピリミジン系薬剤」+「プラチナ系薬剤」の2剤併用が基本となります。
「TS-1+シスプラチン」または「TS-1+エルプラット」の組み合わせが主流です。両者の効果に大きな差はないため、患者さんの状態や生活環境に応じて選択されます。
シスプラチンとエルプラットの使い分け
シスプラチンとエルプラットは、どちらもプラチナ系薬剤ですが、特徴が異なります。
| 項目 | シスプラチン | エルプラット |
|---|---|---|
| 投与方法 | 入院が必要(3日間程度) | 通院で投与可能 |
| 主な副作用 | 腎機能障害、吐き気 | 末梢神経障害(手足のしびれ) |
| 効果 | 同等 | 同等 |
| 胃がんでの承認 | 以前から使用 | 2015年承認 |
シスプラチンは腎臓への負担が大きいため、十分な水分補給が必要で入院での投与が基本です。一方、エルプラットは通院で投与できるため、日常生活への影響を抑えられますが、手足のしびれが強く現れることがあります。
どちらを選択するかは、患者さんの腎機能、仕事や家庭の状況、通院の可能性などを総合的に判断して決定されます。
TS-1とゼローダの違い
フッ化ピリミジン系薬剤では、日本ではTS-1が広く使用されてきました。一方、ゼローダは大腸がん治療で実績があり、海外でも標準的に使われています。
胃がん治療においてもゼローダは選択肢となりますが、日本国内ではTS-1の使用経験が豊富で、データの蓄積も多いため、優先的に使用される傾向があります。
ただしHER2陽性の患者さんでは、ハーセプチンとゼローダの併用で良好な結果が得られているため、この組み合わせが選ばれることも増えています。
二次治療以降の選択肢
一次治療を開始した後、副作用が強く継続が困難な場合、効果が不十分な場合、または当初は効果があったものの薬剤耐性により効果が薄れてきた場合には、二次治療への変更が検討されます。
一次治療で効果が得られており、副作用も許容範囲であれば継続が原則ですが、そうでない場合は治療方針を変更します。
二次治療で使用される薬剤
従来の標準治療では、二次治療として以下の薬剤が単独で使用されてきました。
・タキソール(パクリタキセル)
・タキソテール(ドセタキセル)
・イリノテカン
これらの薬剤の使用順序に明確な決まりはなく、患者さんの状態や一次治療での副作用の種類などを考慮して、担当医が判断します。
しかし近年、分子標的薬の「サイラムザ」が二次治療の選択肢に加わったことで、治療成績の向上が期待できるようになりました。
サイラムザの特徴と効果
サイラムザ(ラムシルマブ)は血管新生阻害薬に分類される分子標的薬です。がん細胞は成長するために新しい血管を作り出しますが、サイラムザはこの血管新生を阻害することで、がん細胞への栄養供給を断つ作用があります。
臨床試験では、「サイラムザ+タキソール」の併用がタキソール単独と比較して、生存期間の延長効果を示しました。腫瘍縮小効果も40%程度の患者さんで認められています。
サイラムザの主な副作用は以下の通りです。
| 副作用 | 内容 |
|---|---|
| 出血傾向 | 鼻血、歯茎からの出血などが起こりやすくなる |
| 血栓症 | 血管内に血栓ができるリスクがある |
| 高血圧 | 血圧が上昇することがある |
| タンパク尿 | 尿中にタンパクが出現する |
心疾患や高血圧の既往がある患者さんでは使用が制限されることがありますが、これらの問題がなければ有力な選択肢となります。
特に注目すべき点として、サイラムザでは脱毛がほとんど起こらないため、女性の患者さんにとって心理的負担が少ない治療法といえます。
免疫チェックポイント阻害剤の役割
オプジーボとキイトルーダの承認
免疫チェックポイント阻害剤は、患者さん自身の免疫機能を活性化させてがん細胞を攻撃する、新しいタイプの治療薬です。
オプジーボ(ニボルマブ)は2017年に胃がんで承認されました。また、キイトルーダ(ペムブロリズマブ)も胃がん治療での使用が認められています。
これらの薬剤は、がん細胞が免疫細胞の攻撃から逃れるために使っている「ブレーキ」を解除することで、免疫システムががん細胞を認識して攻撃できるようにします。
使用できる条件
免疫チェックポイント阻害剤は、すべての患者さんに効果があるわけではありません。効果が期待できるのは、主に以下のような特徴を持つ患者さんです。
・MSI-High(マイクロサテライト不安定性が高い)
・PD-L1陽性(一定以上の発現がある)
これらのバイオマーカー検査の結果により、免疫チェックポイント阻害剤の使用が検討されます。特にMSI-Highの患者さんでは高い効果が報告されています。
免疫チェックポイント阻害剤の副作用は従来の抗がん剤とは異なり、免疫系が活性化されることによる「免疫関連有害事象」が特徴です。間質性肺炎、大腸炎、甲状腺機能異常などが代表的な副作用です。
2024年承認の新薬ゾルベツキシマブ
2024年、胃がん治療に新たな選択肢として「ゾルベツキシマブ」が承認されました。これはCLDN18.2(クローディン18.2)というタンパク質を標的とする分子標的薬です。
CLDN18.2は正常な胃粘膜細胞と胃がん細胞に発現しており、ゾルベツキシマブはこのタンパク質に結合してがん細胞を攻撃します。
ゾルベツキシマブの使用条件
ゾルベツキシマブは、CLDN18.2陽性かつHER2陰性の進行胃がん患者さんが対象となります。一次治療として、化学療法との併用で使用されます。
臨床試験では、化学療法単独と比較して生存期間の延長が確認されており、新たな治療選択肢として期待されています。
ゾルベツキシマブの使用にあたっては、事前にCLDN18.2の発現を確認する検査が必要です。この検査により陽性と判定された患者さんが使用対象となります。
治療の実際的な流れ
胃がんの化学療法は、以下のような流れで進められます。
| 段階 | 検査・治療内容 |
|---|---|
| 診断時 | HER2検査、MSI検査、PD-L1検査、CLDN18.2検査などのバイオマーカー検査 |
| 一次治療 | 検査結果に基づき薬剤を選択(HER2陽性なら3剤併用、陰性なら2剤併用など) |
| 効果判定 | CT検査などで2〜3ヶ月ごとに効果を評価 |
| 二次治療 | 一次治療で効果不十分または耐性が生じた場合に変更 |
| 三次治療以降 | 使用できる薬剤の選択肢から順次選択 |
治療開始前の検査結果は、その後の治療方針を決定する重要な情報となります。これらの検査は一度実施すれば、基本的にはその結果が治療全体を通じて参照されます。
効果判定と治療の継続・変更
化学療法の効果は、通常2〜3ヶ月ごとにCT検査などの画像検査で評価されます。腫瘍マーカーの数値も参考にされますが、最も重要な判断材料は画像による腫瘍の大きさの変化です。
効果があり副作用が許容範囲であれば同じ治療を継続します。効果が不十分、または副作用が強い場合は、次の治療ラインへの変更が検討されます。
三次治療以降の選択肢
二次治療でも効果が得られなくなった場合、三次治療として残っている薬剤の中から選択されます。
イリノテカン、タキサン系薬剤など、これまで使用していない薬剤があれば、それらが候補となります。また、患者さんの状態によっては、免疫チェックポイント阻害剤の使用も検討されます。
三次治療以降は、使用できる薬剤の選択肢が限られてくるため、患者さんの体力、生活の質(QOL)、治療への希望などを総合的に考慮しながら、治療を継続するか、緩和ケアに重点を移すかを判断することになります。
薬剤選択における個別化医療の重要性
胃がん治療では、バイオマーカー検査の結果に基づいて薬剤を選択する「個別化医療」が標準となっています。
HER2、MSI、PD-L1、CLDN18.2といった複数のバイオマーカーを調べることで、患者さん一人ひとりのがんの特性に合わせた治療が可能になりました。
同じ胃がんでも、これらのバイオマーカーの状態によって効果的な薬剤が異なるため、治療開始前の検査が極めて重要です。
また、副作用の種類や程度も個人差があります。同じ薬剤でも、ある患者さんでは軽微な副作用しか出ないのに、別の患者さんでは重篤な副作用が現れることもあります。
そのため、治療中は定期的に血液検査や画像検査を実施し、効果と副作用を慎重に評価しながら、必要に応じて薬剤の減量や変更を行います。
化学療法と生活の質
化学療法を受けながらも、できるだけ通常の生活を維持することは重要です。
近年の薬剤は、以前と比較して副作用が管理しやすくなっており、通院での治療が可能なケースも増えています。エルプラットの承認により、プラチナ系薬剤も通院で投与できるようになったことは、患者さんの生活面での負担軽減につながっています。
また、制吐剤(吐き気止め)や支持療法の進歩により、化学療法による吐き気や嘔吐もかなりコントロールできるようになりました。
副作用が強く出た場合は、我慢せずに医療スタッフに伝えることが大切です。薬剤の減量や投与スケジュールの調整、副作用を軽減する薬の追加などにより、対処できることが多くあります。
今後期待される治療の進展
胃がん治療の分野では、現在も複数の新薬が臨床試験の段階にあります。新しい分子標的薬、免疫療法の組み合わせ、細胞療法など、様々なアプローチが研究されています。
特に免疫チェックポイント阻害剤と他の薬剤を組み合わせる併用療法や、複数の免疫チェックポイント阻害剤を組み合わせる方法などが注目されています。
また、遺伝子変異のパターンをより詳細に調べ、それに対応した薬剤を選択する「プレシジョン・メディシン(精密医療)」の研究も進んでいます。
患者さんにとっては、これらの新しい治療法が承認されることで、さらに選択肢が広がることが期待されます。
参考文献・出典情報
厚生労働省
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