2017/12/24放送のNHK BSプレミアム「がんを生きる新常識。治療法は自ら選ぶ」。
この番組では「医師ががんと宣告されたらどうする?」がテーマです。
現役の医師ががんを宣告されたとき、どんな選択をするのか?ということは、一般の患者さんにとっても興味深いことだと思います。
巷では「医師は自分ががんになったら、抗がん剤なんかしないらしい」などの説を信じている人が多いですが、今回登場する医師は「標準治療だけ」しか選択していません。
参考になることも多いのでシェアしたいと思います。
医師として自らの闘病体験を報告されたのは、東京医科歯科大学の内科医である坂下医師(血液内科医。女性)。
自身のがんの体験から「治療法を患者自らが選び、道を切り開いていくことが大切だ」という内容でした。
三大治療(標準治療)で希少がんと闘う
坂下さんにとって、最初のがんは2005年。当時39歳でした。
背中に強い痛みを感じ、脇まで痺れてきた・・・なにかおかしいと検査をしたところ「骨軟部腫瘍」と診断されました。
坂下さんは担当医に「手術で全ての腫瘍を取って欲しい」と伝えたが「骨への浸潤があり、手術は難易度が高くできない」と回答されました。
しかし、どうしても手術で全ての人腫瘍を取り除きたいと思った坂下さんはあらゆる症例や論文を調査します。
その中で、自身のがんの進行状態が「余命一年」であることを知り、小さいお子さん(当時2歳のお嬢さん)のことを思い、絶望の淵に立たされました。
もうどうしようもない、といったんは治療を諦める心境になったものの、子供の成長を見守るのが私の役目。なんとか生きなきゃと気持ちを奮い立たせて「手術できる手段」を模索します。
とうとう手術ができる病院を見つける
当時、起き上がるのも困難だった坂下さんは長い調査のうえ、手術できる病院を探し当てます。
それは金沢大学附属病院。
この大学で研究されてきた「腫瘍脊椎骨(しゅようせきずいこつ)全摘術」。
この方法は脊椎神経を傷つけずに、がんに侵された背骨だけを取り除くという方法でした。
骨を取り除くということは骨を外すということになり、そのままでは立つことも座ることもできません。
そのため取り除いた骨の部分には健康な腰の骨を移植。さらに金属で補強するという、当時では世界最先端の技術でした。
手術は11時間に及びましたが、腫瘍の全てを摘出することに成功。
手術後は背中の強い痛みに苦しんだが、懸命にリハビリして日常生活ができるまで回復します。
しかし、翌年2006年にがんが再発。
骨軟部腫瘍が腰椎と仙骨に転移していたのです。
医師からは「今度こそ手術はできない」と告げられました。
希望を失いかけたとき、担当医からある治療法を提案されます。
それは放射線治療でした。
放射線のなかでも先進医療のひとつ、重粒子線治療を提案されたのです。しかし当時はまだ開発途上の最中で、今のようにどのような効果がどのくらい見込めるのかはっきりしない状況でした。
しかも、腫瘍が存在するのは脊髄神経が走る腰椎と仙骨。
重粒子線を当てる場所が少しズレてしまうだけで、脊髄神経が損傷し、歩けなくなるなど重大な後遺症が残ることになります。
どうするか悩んでいた坂下さんに主治医は「命のほうが大事だから受けなさい」とアドバイス。それを受け入れた彼女は重粒子線治療に挑戦し、無事に治療は成功。
恐れていた後遺症も残らず、二度目の治療を終えるのです。
再発予防のための抗がん剤で長い入院生活を経験
次に再発してしまうのは避けたいを考えた坂下さんは、再発防止のために2007年には抗がん剤を受けます。
抗がん剤はがんの種類や状況によって様々なものがあり、その数は現在300種類にも及びます。
以前は入院して受けなければならなかった抗がん剤ですが、いまは通院で受けられるものも少なくありません。
ただ、坂下さんが受けた当時はまだ通院で受けられる体制が整っておらず、半年間の入院生活を強いらることになります。
軟部腫瘍に対して効果のある抗がん剤は副作用の強いものであるため、医師の管理下で治療を受けることが前提だったのです。
その後、再発なく坂下さんは医師の仕事を続けています。
結局、彼女は三大治療の全てを経験したことになります。
坂下さんは、番組の最後にこう話しています。
治療選択という難しい状況に立たされて非常に大変な思いをした。
それまでは医療者が何とかしてくれると頭のどこかで思っていた。
でも、そこから治っていく、傷を癒して元の生活に戻るには患者自身の内側の力が必要だなって思う。
・・・最初に手術をしていなかったら、彼女はこの世にいない。ということを考えると治療の選択はとても重要な要素になります。