
こんにちは。がん治療専門アドバイザー、本村ユウジです。
直腸がんの手術で最も心配されるのが「肛門を残せるかどうか」という問題です。
人工肛門になることへの抵抗感は強く、誰もが避けたいと願うのは当然のことです。
しかし、がんのできている部位が肛門に近い場合、従来は早期がんであっても肛門を残すことが難しいとされてきました。
そこで医療界では長年にわたって研究が重ねられ、近年の手術技術の進歩により、肛門のかなり近くにがんができていても温存できる可能性が高まってきています。
肛門温存を可能にする「括約筋間直腸切除術(ISR)」とは
肛門近くにがんができている場合、従来から行われてきたのは「腹会陰式直腸切断術(APR)」という手術法です。
この手術法は「マイルズ手術」とも呼ばれ、がんとともに肛門を切除し、腹部に永久の人工肛門(ストーマ)を造設します。
人工肛門を造設した場合、腹部から便を排泄することになり、日常生活に大きな影響を与えます。
APRは、がんの腫瘍とその周辺組織を広く切除することで再発を防ぐという点では優れていますが、肛門が失われることが最大の課題でした。
そこで肛門を温存する手術法として研究されてきたのが「括約筋間直腸切除術(ISR)」です。
ISRは、肛門括約筋のうち重要な部分だけを残して切除する方法で、1994年にオーストリアで初めて報告され、日本には2000年ごろに導入されました。
肛門括約筋の仕組みとISRの原理
肛門括約筋には、内肛門括約筋と外肛門括約筋という2つの筋肉があります。
内肛門括約筋は、自分の意思とは関係なく働く筋肉です。眠っているときに便が漏れないのは、この内肛門括約筋が無意識に働いているためです。
一方、外肛門括約筋は自分の意思で動かせる筋肉で、肛門を締めようと思えば締められるのはこの筋肉の働きによるものです。
ISRでは、外肛門括約筋を残せば、内肛門括約筋の一部または全部を切除しても肛門機能は温存できることが分かってきました。
この手術法は、外肛門括約筋と内肛門括約筋の間を切ることから「括約筋間直腸切除術(ISR)」と呼ばれています。
ISRの種類と切除範囲
ISRは、どこまで切除するかによって3つに分類されます。
| 術式の種類 | 切除範囲 | 特徴 |
|---|---|---|
| パーシャルISR | 内肛門括約筋の一部を切除 | 比較的肛門機能が保たれやすい |
| サブトータルISR | 内肛門括約筋の大部分を切除 | 中間的な機能温存が期待できる |
| トータルISR | 内肛門括約筋を全部切除 | 肛門機能の低下がより大きい |
どの術式を選択するかは、がんの位置や深達度によって決まります。
ISRの治療成績と再発率
ISRには、乗り越えなければならない課題が2つありました。
1つは再発率です。肛門を残しても、再発率が上がってしまっては意味がありません。
もう1つは機能の問題です。内肛門括約筋を切除しても、肛門として機能させることができるのかという点です。
生存率について
手術が行われるようになって年数が経過し、データが蓄積されてきました。
複数の医療機関のデータでは、5年生存率について内肛門括約筋切除術と腹会陰式直腸切断術との間に統計学的な差はないことが示されています。
つまり、ISRが適応となる場合で正しく手術が成功すれば、再発が多くなることはないといえます。
腹腔鏡手術の進歩により骨盤の細かい解剖の理解が深まったことで、近年ISRを行う施設は増えてきており、手術の精度も向上しています。
無再発生存率のデータ
ISRを施行した下部直腸がんの症例では、無再発生存率は約73%、再発率は18%(局所再発率は7.2%)との報告があります。
ただし、StageⅢbの進行した症例では再発率が高くなるため、慎重な適応判断が必要です。
また、術前化学放射線治療を併用した場合、治療効果が得られた症例では良好な成績が報告されています。
術後の肛門機能と日常生活への影響
手術後の肛門機能は、内肛門括約筋と外肛門括約筋が揃っていた手術前と比べると、どうしても低下します。
どの程度機能が残るかは個人差がありますが、手術前と全く同じというわけにはいかないのが現実です。
術後に起こりうる変化
具体的には、次のような変化が現れることがあります。
| 症状 | 内容 |
|---|---|
| 排便回数の増加 | 直腸を切除して結腸をつなぐため、便を留める機能が失われ排便回数が多くなります。1日に6回以上になることもあります。 |
| 便意の我慢が困難 | 便意を感じてから我慢している時間が短くなります。便とガスの区別がつきにくくなることもあります。 |
| 便失禁 | 寝ている間に漏れる、気づかぬうちに漏れて下着が汚れる、といったことが起きる可能性があります。 |
排便機能の評価指標
術後の排便機能は、Wexnerスコアという指標で評価されます。
ストーマ閉鎖後1カ月までは平均11.6、3カ月で8.6、6カ月で4.6と、時間経過とともに改善していく傾向が報告されています。
手術後2年ほどすると機能が徐々に回復すると言われていますが、完全に元に戻るわけではありません。
また、便失禁がある程度あっても、時間とともに「しかたない」と受容するようになった可能性も指摘されています。
術式による機能の違い
どの手術法を選択するかで、残された肛門機能にも差があります。
外肛門括約筋をほぼ全切除する術式(e-ESR)では、術後12カ月後の時点で半分近くの患者さんで1日の排便回数が6回以上になっており、8割の方がパッドの装着を必要としているとの報告があります。
広範囲に筋肉を切除すると、手術後の排便障害がより顕著になる傾向があります。
肛門機能回復のためのリハビリテーション
機能を回復させるためのリハビリテーションも重要です。
最も実施しやすいのが、肛門括約筋を締めたり緩めたりする肛門体操です。
臀部を締めたり、肛門周囲の筋肉を動かしたりする訓練を行うことで、少しずつ肛門機能を回復することができます。
残っている外肛門括約筋は鍛えれば強くなりますが、筋肉は加齢とともに衰えるため、高齢になると肛門機能が次第に低下してくることがあります。
そのため、術後早期からのリハビリテーションと、長期的な継続が推奨されています。
ISRの適応基準と向かない場合
ISRは全ての患者さんに適応できるわけではありません。
ISRが適応となる条件
一般的に、以下の条件を満たす場合にISRが検討されます。
・がんの位置が肛門縁から2~5cm程度の範囲にある
・がんの浸潤が内肛門括約筋までにとどまっている
・外肛門括約筋への浸潤が浅い、またはない
・直腸では粘膜下層や固有筋層まで、肛門では内肛門括約筋までにとどまっている
ISRに向かない場合
以下のような場合は、ISRには向きません。
再発のリスクが高い患者さん、例えば直腸の所属リンパ節に多くの転移がある場合、がんが大きくて周囲臓器への浸潤が疑われる場合などです。
肛門を温存できても、再発リスクを多く残したままでは手術自体の意味がなくなってしまいます。
また、寝たきりの方、車椅子の生活の方、歩くのに杖が必要な方なども、何度もトイレに行くのが困難なため慎重に判断する必要があります。
人工肛門とISRのどちらを選ぶべきか
温存手術といっても、これまでと同じ感覚で排便をコントロールできるわけではありません。
そのため、無理をしてでもISRを行い肛門を温存した方が良いというわけではないのです。
判断のポイント
自分のライフスタイルを考慮して、どの手術を受けるのかを決める必要があります。
納得いく治療、後悔しない治療を選択するためには、選択肢となる治療法について正しい知識を持つことが大切です。
ISRについて詳しく説明を受けるだけでなく、人工肛門についても最新の情報を得ておくべきです。
その上で、自分にとってはどちらが適しているのかを判断することが重要です。
メリットとデメリットの比較
| 項目 | ISR | 人工肛門(APR) |
|---|---|---|
| 生存率 | 同等 | 同等 |
| 排便機能 | 低下するが自然排便が可能 | 人工肛門からの排泄 |
| 日常生活 | 排便回数増加、我慢困難 | ストーマ管理が必要 |
| 手術難度 | 高い技術が必要 | 比較的標準的 |
ISRは、再発についての心配は低くなっていますが、機能面の問題はまだ残されているといえます。
とにかく肛門を残したいという気持ちだけで決めてしまうのではなく、手術後の生活をよく考え、メリットとデメリットをしっかり比較して決めることが重要です。
最新の治療技術と今後の展望
近年、腹腔鏡手術やロボット支援下手術の進歩により、ISRを行う施設は増えてきました。
腹腔鏡手術の進歩により、骨盤の細かい解剖の理解が深まったことで、多くの施設で安全にISRが行われるようになっています。
一部の専門施設では、肛門温存率が85%に達しているとの報告もあります。
ロボット支援下手術は、直腸が位置する骨盤内の狭い空間での精密な操作を可能にし、ISRの成績向上に寄与しています。
また、経肛門的直腸間膜全切除術(TME)という新しい術式も開発されており、腹腔鏡下TMEと比較して3年無病生存率について非劣性であることが報告されています。
ISRを受ける医療機関の選び方
ISRは高度な技術を要する手術であり、施設によって経験や実績に差があります。
「大腸癌治療ガイドライン」でも「術者の経験・技量を考慮して慎重に適応を決定する」とされており、経験豊富な施設を選ぶことが重要です。
多くの経験を積んだ施設であれば、がんをきちんと切除できて肛門機能も残せるという判断を適切に行うことができます。
他の施設で「肛門を残すことはできない」と言われた場合でも、ISRの経験が豊富な専門施設に相談してみることも一つの方法です。
まとめとして
直腸がんの手術において、肛門を温存できるかどうかは患者さんにとって大きな関心事です。
括約筋間直腸切除術(ISR)は、肛門に近い位置のがんでも温存の可能性を広げる手術法として、着実に普及してきています。
治療成績は人工肛門の場合とほぼ同等であり、多くの患者さんで肛門温存が可能になっています。
ただし、術後の排便機能については個人差があり、手術前と全く同じというわけにはいきません。
ISRと人工肛門、それぞれのメリット・デメリットをよく理解し、自分のライフスタイルや価値観に基づいて、納得のいく選択をすることが大切です。
がんと診断されたあと、どのような治療を選び、日常生活でどんなケアをしていくのかで、その後の人生は変わります。
正しい知識を持ち、担当医とよく相談しながら、自分にとって最良の治療法を選択しましょう。
参考文献・出典情報
- 大腸がんの「内肛門括約筋切除術(ISR)」治療の進め方は?治療後の経過は? | QLife がん
https://cancer.qlife.jp/colon/colon_feature/article469.html - 下部直腸癌に対する肛門温存手術 | 近畿大学医学部 外科学教室
http://kindai-geka.jp/general/intestine/intestinetreat4.html - ISR(内肛門括約筋切除) | 帝京大学医学部附属病院
https://teikyo-daicho.com/tokusyoku-5 - 括約筋間直腸切除術(ISR)で肛門を残す! | 大森赤十字病院
https://omori-nisseki.com/hospital/1793/ - 内肛門括約筋切除術 | 千葉市立海浜病院
https://hospital.city.chiba.jp/kaihin/department/section/surgery_and_digestive_surgery/type02/isr/ - 下部直腸癌に対する肛門括約筋間切除術の手術成績と術後肛門機能 | 日本臨床外科学会雑誌
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsa/75/12/75_3236/_pdf - 直腸がんへの新たなアプローチ、肛門温存手術とは? | Doctorbook
https://doctorbook.jp/contents/190 - 直腸がんの手術 | 近畿大学病院
https://www.med.kindai.ac.jp/diseases/rectal_cancer.html - 直腸がん3年無病生存率、経肛門的TME vs.腹腔鏡下TME | ケアネット
https://www.carenet.com/news/journal/carenet/60111 - 大腸がんの治療法について | 日本臨床外科学会
https://www.ringe.jp/civic/20190731/p04

