
はじめに
こんにちは。がん治療専門アドバイザー、本村ユウジです。
近年、がん治療の分野で「腫瘍溶解性ウイルス」という言葉を耳にする機会が増えています。これは、ウイルスの性質を利用してがん細胞を攻撃する新しい治療法です。
2021年には日本で初めてのウイルス療法製品が承認され、現在も複数の製品が臨床試験の段階にあります。この記事では、腫瘍溶解性ウイルスがどのようにしてがん細胞を破壊するのか、その仕組みから実用化の現状まで詳しく説明します。
ウイルスとはどのような存在か
まず、ウイルスの基本的な性質について理解しておく必要があります。
ウイルスは細菌よりもはるかに小さな存在で、生きた細胞の中でしか増えることができません。細胞に侵入すると、ウイルスは自身の設計図であるDNAやRNAを細胞内に放出し、細胞の仕組みを利用して新しいウイルスを次々と作り出します。
こうして増えたウイルスが細胞の外へ広がり、周囲の細胞にも感染して増殖を繰り返します。この性質を医療に応用したのが「腫瘍溶解性ウイルス」です。
腫瘍溶解性ウイルスの基本的な特徴
腫瘍溶解性ウイルスは、正常な細胞では増えず、がん細胞に感染したときだけ増殖するように設計されています。
ウイルスに感染したがん細胞は、細胞内でウイルスが増えた結果、溶けていくように変形して破壊されます。これが「溶解」と呼ばれる現象です。
破壊された細胞からウイルスが周囲へ広がり、次々とがん細胞に感染して破壊していきます。一方、正常細胞は仮に感染したとしても、そこではウイルスは増殖しません。患者さんの免疫がウイルスと感染細胞を排除するため、正常な組織はウイルスの攻撃から守られます。
免疫を活性化させる効果
腫瘍溶解性ウイルスは、がん細胞を直接破壊するだけではありません。破壊されたがん細胞からがん特有の目印(抗原)が放出されると、体内の免疫細胞がそれを認識します。
これにより、患者さん自身の免疫機能が活性化され、がん細胞への攻撃力が高まる効果も期待されています。つまり、直接的な破壊作用と免疫活性化という2つの作用でがんと闘うことができます。
がん細胞が破壊される仕組み
正常な細胞の場合、ウイルスに感染すると「アポトーシス」という仕組みが働きます。これは細胞が自ら死を選ぶプログラムで、ウイルスを周囲に広げないための防御反応です。
しかし、がん細胞は無限に増殖する特性を持つため、このアポトーシスの機能が失われています。
腫瘍溶解性ウイルスに感染したがん細胞は、ウイルスの増殖に耐えられずゆっくりと壊れていき、「溶解」のような死に方をします。このとき、細胞内で増えたウイルスが周囲のがん細胞へと感染を広げていくのです。
治療に利用されるようになった歴史的背景
初期の発見
がんの治療にウイルスが役立つ可能性は、約100年前から知られていました。
骨髄性白血病の女性がインフルエンザのような感染症にかかった後、肝臓や脾臓の腫大が小さくなったという報告や、リンパ性白血病の少年が水ぼうそうに感染した後、骨髄検査で寛解状態になっていたという報告があります。また、子宮頸がん患者さんに狂犬病ワクチンを接種したところ、腫瘍が縮小したという報告もありました。
1950年代からの臨床試験
実際にがん治療でウイルスを使う試みが始まったのは1950年頃です。当初は自然界からがんに効くウイルスを探す研究が中心でした。
ホジキンリンパ腫の患者さんにB型肝炎ウイルスを含む血清を投与したり、白血病やリンパ腫の患者さんにウエストナイルウイルスを投与したりする臨床試験が行われました。症状が改善する患者さんがいた一方で、ウイルス感染による重い副作用を起こす例も相次ぎました。
副作用が穏やかなアデノウイルスを使った試験では、子宮頸がん患者さんの腫瘍の壊死が確認され、患者さん自身の免疫によって数カ月でウイルスが排除されることもわかりました。
研究の停滞と再開
しかし、ウイルスによるがん治療は有効性や安全性に欠けるという見方が強まりました。病気を引き起こすウイルスを患者さんに投与する研究手法も問題となり、1970年代以降は研究が減っていきました。当時はウイルスを人為的にコントロールする技術がなかったことも、研究が広がらなかった理由です。
その後1990年頃から、分子生物学や遺伝子工学の技術が進歩しました。遺伝子治療の研究では、ウイルスを遺伝子の「運び屋」として使う方法が確立されました。ウイルスは目的の細胞に遺伝子を届けますが、増殖に必要な遺伝子を欠損させているため増殖しません。
やがて、遺伝子工学の技術でウイルスの遺伝子を改変し、安全性や有効性を高めることができれば、がん治療の新たな選択肢になるのではないかと考えられるようになりました。
研究されているウイルスの種類
腫瘍溶解性ウイルスのもとになるウイルスは様々です。一般的な風邪を起こす「アデノウイルス」、口唇ヘルペスの原因となる「単純ヘルペスウイルス」、「麻疹ウイルス」などが研究されています。
| ウイルスの種類 | 特徴 | 主な開発状況 |
|---|---|---|
| 単純ヘルペスウイルス | あらゆる細胞に感染でき、細胞を殺す力が強い。抗ウイルス薬があるため治療を中断できる | 日本でG47Δ(デリタクト)が2021年承認 |
| アデノウイルス | 感染後の副作用が比較的穏やか | 世界各地で臨床試験が進行中 |
| 麻疹ウイルス | 抗体値の上昇が限定的で反復投与が可能 | Panectinが日本で第I相試験中 |
| ワクシニアウイルス | 多様ながん種に応用が期待される | 複数の製品で臨床試験実施中 |
承認されている腫瘍溶解性ウイルス製品
米国で承認されたT-VEC
米国では2015年に、単純ヘルペスウイルスを使った「タリモジン ラヘルパレプベク(T-VEC、商品名イムリジック)」が、悪性黒色腫の治療薬として初めて承認されました。
この治療法は、皮膚の病変に直接注射する形で投与されます。他の部位の転移腫瘍を縮小させるものではありませんが、局所的な皮膚病変への効果が認められています。
日本で承認されたG47Δ(デリタクト)
日本では2021年6月に、東京大学医科学研究所の藤堂具紀教授らが開発した「G47Δ(テセルパツレブ、製品名デリタクト注)」が、悪性神経膠腫の治療を目的として世界で初めて承認されました。
これは単純ヘルペスウイルス1型の3つのウイルス遺伝子を改変した第三世代のがん治療用ウイルスです。がん細胞でのみ増殖可能となるよう設計されており、正常細胞では増殖しません。
臨床試験では、再発もしくは残存病変のある膠芽腫患者さん19人を対象に、G47Δを腫瘍内に最大6回投与しました。治療開始後の1年生存割合は84.2%で、全生存期間中央値は20.2か月でした。
副作用は主に免疫反応に伴うもので、発熱が最も多く見られましたが、深刻な長期的副作用は報告されていません。
なお、この治療は条件及び期限付き承認で、市販後に使用する患者さん全例を対象に7年以内に有効性・安全性の再確認を行うことになっています。薬価は1mL 1瓶で143万1,918円です。
開発が進む新しい腫瘍溶解性ウイルス
麻疹ウイルスベースのPanectin
東京大学の甲斐知惠子名誉教授が開発した麻疹ウイルスベースの腫瘍溶解性ウイルス「Panectin」は、がん細胞表面で高発現するタンパク質「Nectin-4」を標的として感染します。
麻疹ウイルスは抗体値の上昇が限定的であるため、静脈注射の反復投与が可能という特徴があります。現在、医師主導の第I相治験が進行中で、トリプルネガティブ乳がんのステージ4と筋層非浸潤性膀胱がんをターゲット疾患として開発が進められています。
サバイビン反応性m-CRA
サーブ・バイオファーマが開発する「サバイビン反応性m-CRA」は、がん細胞で特異的に高発現する分子「サバイビン」に反応してスイッチが入る仕組みです。
がんが進行するほどサバイビンは高発現することから、進行がんや難治性がんへの効果が期待されています。現在、骨軟部腫瘍を対象とした医師主導の第2相試験が進行中です。
腫瘍溶解性ウイルス療法の市場動向
腫瘍溶解性ウイルス療法の市場は急速に拡大しています。2025年の市場規模は約203.6億米ドルと評価されており、2035年には約1,117.6億米ドルに達すると予測されています。年平均成長率は18.89%と高い成長が見込まれています。
現在開発中のプログラムは210件を超え、そのうち過半数が第1相試験の段階にあります。開発領域はがんが97%を超えており、世界的に研究・開発競争が激化しています。
治療の課題と今後の展望
現在の課題
腫瘍溶解性ウイルス療法にはいくつかの課題があります。
まず、投与方法の複雑さです。多くの場合、腫瘍内に直接注射する必要があり、脳腫瘍の治療では定位脳手術による投与を複数回繰り返すため、患者さんの身体的負担が少なくありません。
また、ウイルスの送達と拡散の効率性が限られている点、宿主の免疫系によってウイルスが早期に排除されてしまう点なども課題として挙げられます。
今後の可能性
これらの課題を克服するため、様々な試みが行われています。
免疫チェックポイント阻害薬との併用により、相乗効果が期待されています。実際、複数の臨床試験でウイルス療法と免疫チェックポイント阻害薬の併用が検討されています。
また、静脈内投与が可能な製品の開発も進められています。これが実現すれば、全身のがん細胞に対してより効果的に治療を行える可能性があります。
G47Δは全ての固形がんに同じメカニズムで作用することから、脳腫瘍以外のがん種への適応拡大も期待されています。実際、前立腺がん、嗅神経芽細胞腫、悪性胸膜中皮腫などを対象とした臨床試験も実施されています。
患者さんが知っておくべきこと
腫瘍溶解性ウイルス療法は、がん治療の新しい選択肢として注目されていますが、現時点では限られた疾患にのみ適用されています。
日本で承認されているのは悪性神経膠腫のみであり、治験実施施設でのみ受けられる治療です。他のがん種については、現在臨床試験の段階にあります。
この治療法に興味がある場合は、まず主治医に相談し、自分のがんの種類や状態に適した臨床試験が実施されているかどうか確認することが大切です。
まとめ
腫瘍溶解性ウイルスは、ウイルスの性質を利用してがん細胞を破壊し、同時に患者さんの免疫を活性化させる治療法です。
約100年前から可能性が知られていましたが、遺伝子工学の進歩により、安全性と有効性を高めたウイルスの開発が可能になりました。日本では2021年に初めての製品が承認され、現在も複数の製品が臨床試験の段階にあります。
今後、免疫チェックポイント阻害薬との併用や、様々ながん種への適応拡大が期待されています。がん治療の第6世代として、新たな選択肢となる可能性を秘めた治療法です。
参考文献・出典情報
- 東京大学医科学研究所「世界初の脳腫瘍ウイルス療法が承認」
- QLifePro「再発した膠芽腫、ウイルス療法薬G47Δの最大6回投与で1年生存率84%」
- BioJapan「腫瘍溶解性ウイルスPanectinの開発状況」
- Research Nester「腫瘍溶解性ウイルス療法市場規模・シェア、成長レポート2035」
- AIMと免疫療法イニシアチブ「腫瘍溶解性ウイルス」
- Wikipedia「腫瘍溶解性ウイルス」
- LINK-J「がん細胞を破壊する腫瘍溶解性ウイルスによる遺伝子治療を目指す」
- KEPPLE「サーブ・バイオファーマ、15億円調達で腫瘍溶解性ウイルスの実用化を推進」
- Mordor Intelligence「腫瘍溶解性ウイルス療法の市場規模・シェア分析」
- 日本DDS学会誌「腫瘍溶解性ウイルス療法の現状と課題」

