前立腺がんの根治的治療の選択肢
前立腺がんで転移のない限局性がんの場合、根治的な治療として「手術療法」「放射線療法」「HIFU(高密度焦点式超音波療法)」が中心となります。
なお「内分泌(ホルモン)療法」は根治的というよりも、がんの進行を抑制する保存療法の意味合いが強いといえます。
前立腺がんには様々な治療法がありますが、現代医学においてやはり最も根治の可能性が高いのは手術だと考えられています。前立腺がんの手術は前立腺を完全に取り除く「前立腺全摘除術」が行われ、これには「開腹手術」「腹腔鏡手術」「ロボット支援手術」「小切開(ミニマム創)手術」という術式があります。
前立腺全摘除術の基本概念
前立腺全摘除術では前立腺のみならず、精のう、必要に応じてリンパ節も一緒に摘出します。そして、尿道と膀胱をつなぎ合わせる吻合を行い、手術が完了となります。がん病巣を手術で摘出することで、その後の病理検査(摘出した前立腺とがん細胞を詳しく調べる検査)により、正確ながんの広がりや悪性度を知ることができます。
現在の検査技術では、前立腺のどの部分にがんがあるのか正確に把握することが困難なため、前立腺を全て取り去ることが必要です。腹腔鏡やロボットを使った手術の場合も、すべて前立腺全摘除術となります。
開腹手術の詳細と特徴
開腹手術には「恥骨後式」と「会陰式」の2つのアプローチ方法があります。
恥骨後式開腹手術
恥骨後式はへその下から恥骨にかけて約15センチメートル切開する方法で、最も伝統的な術式です。通常の入院期間は10日間程度となります。視野が広くてリンパ節郭清も容易ですが、前立腺が深い位置にあるため切開創が大きくなり、患者さんは出血や術後の痛みに悩まされることがあります。
会陰式開腹手術
会陰式は肛門と陰のうの間の会陰部を約5センチメートル切開して前立腺を摘出する方法です。傷は小さいものの、リンパ節郭清が困難で、技術的に難しい術式のため、多くの施設で行われているのは恥骨後式です。
開腹手術の合併症と安全性の向上
これらの手術には尿もれ、頻尿、勃起障害などの合併症が必ず起こると思われている方が多いですが、血管や神経の走行が詳しく分かってきたため、以前よりも安全で合併症の少ない手術になっています。神経温存手術の技術向上により、機能温存の可能性も高くなっています。
小切開(ミニマム創)手術の利点
小切開手術は6~9センチメートル程度しか腹部を切開しないのが特徴です。これは切除した前立腺を取り出すのに必要な最小限の大きさです。そこから内視鏡を挿入して、モニターを見たり、肉眼でも患部を確認したりして手術を行います。周囲のリンパ節の切除もこの流れで行われます。
開腹手術よりも体への負担が少なく回復期間も短いため、この方法が適応となる場合は有力な選択肢となります。健康保険も適用されており、おなかには手術器具のみで手を入れないため清潔を保ちやすく、腹腔鏡手術のように炭酸ガスでおなかをふくらませることもないので、そのための合併症の心配もありません。
腹腔鏡手術の技術と特徴
正式には「腹腔鏡下前立腺全摘除術」といいます。日本での腹腔鏡手術は胆のう摘出術で最初に行われ、その後患者さんの体に負担の少ない手術として広がりを見せています。
腹腔鏡手術の手順
前立腺全摘除術の場合はへそから下の下腹部に5か所ほどの5~10ミリメートルの穴を開け、腹腔内は炭酸ガスで膨らませて手術を行うスペースを確保します。開けた穴から内視鏡を挿入し、他の穴からは手術器具を挿入し、モニターを見ながら手術を行う方法です。
腹腔鏡手術のメリットとデメリット
傷が小さく済み、早期回復が可能で出血量が少ないというメリットがありますが、その一方で広い範囲のリンパ節の切除に難しい点があります。加えて患者さんは頭を低くした姿勢で手術を受けるので、心臓や肺に負担がかかる場合があります。
また、腹腔鏡手術は画像を通して広い視野が得られ、傷が小さく出血も少ない低侵襲治療法ですが、技術の習得に時間がかかり、拡大されているので全体が見えづらく、直接臓器を触れることができないという欠点があります。
ロボット支援手術の最新技術
ロボット支援前立腺全摘除術の概要
正式には「ロボット支援前立腺全摘除術」といいます。ダヴィンチと呼ばれる手術支援ロボットを使って行われる手術で、2012年4月に前立腺がんに対して日本で初めて保険適用となりました。米国では前立腺全摘除術の85%がロボット手術で行われており、日本でも急速に普及しています。
ダヴィンチシステムの種類と特徴
現在使用されているダヴィンチシステムには複数の機種があります:
| 機種名 | 特徴 | 導入時期 |
|--------|------|----------|
| ダヴィンチXi | 4本アーム、マルチポート | 主流機種 |
| ダヴィンチSP | 1本アーム、シングルポート | 2023年薬事承認 |
| ダヴィンチ5 | 最新機種 | 2024年導入開始 |
ロボット手術の具体的手順
ロボット支援手術は腹腔鏡手術をロボット支援下に行うもので、下腹部に5~6か所の小さな穴を開け、腹腔内を炭酸ガスで膨らませて手術スペースを確保します。開けた穴からロボットの鉗子やカメラなどを挿入して手術を行います。
手術は全身麻酔下で行われ、患者さんは腸を上腹部に移動させるために体位を25度頭低位にした状態で実施されます。まず前立腺と膀胱の間を切離し、それから前立腺および精のうの周囲を剥離し、最後に前立腺と尿道を離断して前立腺を摘出します。前立腺を摘出した後、膀胱と尿道を吻合します。
ロボット手術の革新的メリット
ロボット手術のメリットは、約15倍に拡大された3次元画像を見ながら微細な操作ができ、出血量が少ないことです。ダヴィンチの鉗子には複数の関節があるため、人間の手よりも自由度が高く、膀胱と尿道の吻合や性機能に関わる神経の温存も高精度にできるようになりました。
具体的な利点は以下の通りです:
・傷の痛みが少ないため手術翌日から歩行可能
・食事も手術翌日の夕方から摂取可能
・術後5日で尿道カテーテル抜去、術後1週間で退院可能
・早期の社会復帰が実現
・拡大3D画像と鉗子の操作性向上により精密な手術が可能
・尿禁制や性機能の機能温存達成の可能性が向上
最新のダヴィンチSPの特徴
2024年には国立がん研究センター中央病院で、がん専門医療機関初となる最新の手術支援ロボット「ダヴィンチSP」が導入されました。従来型のダヴィンチXiが4本のアームであるのに対し、ダヴィンチSPはシングルポート(アーム1本)となっており、より侵襲が少なく整容性を向上させたロボット手術が期待できます。
各手術方法の比較と選択基準
手術方法別の特徴比較
| 手術方法 | 切開サイズ | 入院期間 | 出血量 | 技術習得 | 費用 |
|----------|------------|----------|--------|----------|------|
| 開腹手術 | 15cm | 10-14日 | 多い | 標準 | 標準 |
| 小切開手術 | 6-9cm | 7-10日 | 中程度 | 中程度 | 標準 |
| 腹腔鏡手術 | 5-10mm×5箇所 | 7-10日 | 少ない | 高度 | 標準 |
| ロボット手術 | 5-10mm×5-6箇所 | 7-10日 | 最少 | 中程度 | やや高 |
患者さんの状態による選択基準
手術方法の選択は、患者さんの全身状態、がんの進行度、過去の手術歴、施設の設備や医師の経験などを総合的に考慮して決定されます。体への負担が大きいため、高齢者や全身状態がよくない方には適応しません。全身状態が良好で、余命が10年以上見込める患者さんに行うべきと考えられています。
HIFU(高密度焦点式超音波療法)の最新動向
HIFUの先進医療認定
2023年2月には厚生労働省から「高密度焦点式超音波療法を用いた前立腺癌標的局所療法」が先進医療Bとして承認され、多施設共同研究として実施されています。これは前立腺がんの治療と機能温存の両立を目指す画期的な治療法です。
HIFUの治療原理と効果
HIFUでは検査で使う超音波より、かなり強力な超音波を使用しています。この強力超音波を凸レンズの原理で特定の小さな領域に集め、前立腺内を縦3mm×横3mm×深さ12mmに区切り、その小さな範囲を80~98℃に熱してがんを焼いて死滅させます。
現在、前立腺がんに対するHIFUは、予後に影響するがんを治療する一方、正常組織を可能な限り温存する"Focal Therapy"のモダリティーとして使用されています。東海大学医学部付属病院およびその関連病院が実施した多施設前向き臨床研究では、治療後の経過観察期間4-4.5年間に手術、あるいは放射線治療による前立腺全体治療を回避できた割合は、低リスク群:96.1%、中リスク群:94.4%、高リスク群:95.1%という良好な成績が報告されています。
手術の合併症と機能温存
主な合併症とその対策
前立腺全摘除術の主な合併症は尿失禁と性機能障害です。がんの発生部位と尿の排出を調節する尿道括約筋が近接しているため、手術直後は約80%の方が尿漏れしやすくなります。ほとんどの患者さんは術後1か月から6か月で回復しますが、重症の尿失禁が残る方が約2%います。
機能回復の経過
術後の機能回復は以下のような経過をたどります:
・術後3か月:60~70%の方がパッド不要
・術後6か月:約80%の方がパッド不要
・術後1年:約90%の方がパッド不要
性機能については、手術直後はほとんどの場合で性機能障害が起こりますが、時間の経過とともにゆるやかに回復していきます。回復の程度は神経温存の状況、年齢、術前の勃起状態などによって個人差があります。
手術費用と保険適用
保険適用の手術費用
前立腺がんに対するロボット支援下手術は保険診療となります。保険診療では高額療養費制度が利用できるため、実質の負担額は所得区分にもよりますが、多くの場合10万円程度となります(入院期間が月をまたがない場合)。
具体的な費用例(3割負担の場合):
・入院日数:8-10日
・手術費用:約48-55万円(高額療養費制度利用前)
・高額療養費制度利用後:約8-12万円
先進医療の費用
HIFUは現在先進医療として実施されており、HIFU治療に要する費用は患者さんが全額自己負担となります。それ以外の通常の治療と共通する部分(診察・検査・投薬・入院料等)の費用は、一般の保険診療と同様に扱われます。
手術実績と普及状況
国内でのロボット手術実績
日本では2012年の保険適用以降、ロボット支援前立腺全摘除術が急速に普及しています。多くの施設で年間数十例から数百例の手術が行われており、症例数の蓄積により手術技術の向上と安全性の確保が図られています。
例えば、主要な医療機関での実績:
・順天堂大学医学部附属順天堂医院:da Vinci Xi 3台導入、都内屈指の症例数
・長崎大学病院:2014年9月より開始、780例以上の手術実績(2023年10月時点)
・静岡がんセンター:2011年12月よりda Vinci導入、多領域での実施
手術支援ロボットの今後の展開
手術支援ロボットは前立腺がんだけでなく、現在では腎臓がん、膀胱がん、胃がん、直腸がん、肺がん、子宮がんなど様々ながん種に適用が拡大されています。技術の進歩により、より精密で安全な手術が可能となり、患者さんの生活の質向上に大きく貢献しています。
治療選択における重要な考慮事項
チーム医療の重要性
前立腺がんの手術には、泌尿器科医、麻酔科医、看護師、臨床工学技士など多職種のチームワークが不可欠です。特にロボット手術では、機器の操作に習熟したスタッフの存在が手術の成功に重要な役割を果たします。
患者さんとの十分な相談
手術方法の選択は、患者さんの価値観、ライフスタイル、治療に対する希望を十分に考慮して決定する必要があります。根治性と機能温存のバランス、手術による合併症のリスク、術後の生活への影響などについて、医師と患者さんが十分に話し合うことが重要です。
前立腺がんの手術療法は技術の進歩により、より安全で効果的な治療が可能となりました。特にロボット支援手術の導入により、精密な手術操作と機能温存の両立が実現されています。HIFUなどの新しい治療選択肢も加わり、患者さん一人ひとりに最適な治療法を選択できる時代となっています。治療選択においては、十分な情報収集と綿密な相談を通じて、最良の治療方針を決定することが重要です。
参考文献・出典情報
1. NPO法人キャンサーネットジャパン「前立腺がんの手術法」
2. 日本泌尿器内視鏡・ロボティクス学会「泌尿器科領域におけるロボット支援手術ガイドライン」
3. 順天堂大学医学部附属順天堂医院「前立腺がんに対するロボット支援手術」
4. 静岡がんセンター「ロボット支援手術」
5. 大森赤十字病院「ロボット支援下前立腺がん手術」
6. 国立がん研究センター「手術支援ロボット『ダビンチSP』を用いたがん手術を実施」
7. 東海大学医学部付属病院「高密度焦点式超音波療法を用いた前立腺癌標的局所療法」先進医療B認定
8. Wikipedia「高密度焦点式超音波治療法」
9. 国立がん研究センター「ロボット手術で精度向上 術後QOLの改善も」
10. がんプラス「前立腺がんの高密度焦点式超音波療法(HIFU・ハイフ)」


