乳がんには、女性ホルモンであるエストロゲンを栄養源として増殖するタイプと、そうでないタイプがあります。この違いを調べるのが、ホルモン受容体の検査です。
ホルモン受容体陽性の乳がんに対しては、エストロゲンの量を減らしたり、がん細胞がエストロゲンを取り込むのを阻害する薬を使い、がんの増殖を抑えようとするのがホルモン療法です。
現在では、CDK4/6阻害薬などの新しい分子標的薬も加わり、治療選択肢は大きく広がっています。
ホルモン受容体(ER・PgR)の基本知識
乳がんがエストロゲンを栄養源とするタイプかどうかは、組織診や手術の際に採取したがんの組織を使い、エストロゲンを取り込む"受け皿"である「ホルモン受容体」の有無を調べることで分かります。
ホルモン受容体には2つの種類があります。
- エストロゲン受容体(ER):エストロゲンが結合する受容体
- プロゲステロン受容体(PgR):プロゲステロンが結合する受容体
これらの受容体は、女性ホルモンと鍵と鍵穴のような関係にあり、女性ホルモンがこの受容体に結合することで、がん細胞に増殖の指令を出します。
ホルモン受容体の判定基準
2025年現在、ホルモン受容体の判定は免疫組織化学染色(IHC法)により行われ、陽性細胞の占有率で評価されます。ERとPgRのどちらかひとつでも1%以上陽性であれば「ホルモン受容体陽性(ホルモン感受性あり)」の乳がんとなり、ホルモン療法の効果が期待できます。
どちらも1%未満であれば「ホルモン受容体陰性(ホルモン感受性なし)」の乳がんとなり、このタイプの乳がんに対してホルモン療法を行うメリットはありません。
受容体の状態 | 判定 | ホルモン療法の効果 |
---|---|---|
ER 1%以上陽性 または PgR 1%以上陽性 | ホルモン受容体陽性 | 効果あり |
ER・PgR ともに1%未満 | ホルモン受容体陰性 | 効果なし |
ホルモン療法の効果が期待できる乳がんは、全体の約70~80%を占めています。
ホルモン療法で使われる薬剤の種類と最新情報
ホルモン療法で使用される薬剤は、主に以下の4つのカテゴリーに分類されます。2025年現在では、これらの薬剤に加えて、CDK4/6阻害薬などの新しい分子標的薬も併用されることが標準的になっています。
1. 抗エストロゲン薬
抗エストロゲン薬は、ホルモン受容体に結合して、がん細胞がエストロゲンを取り込むのを阻害する薬です。ホルモン受容体陽性の乳がんはエストロゲンを栄養源としているため、抗エストロゲン薬を使うと、がんは栄養を取り込めなくなり、増殖が抑制されます。
最もよく使われるのはタモキシフェン(商品名:ノルバデックス)です。ジェネリック薬もありますが、製剤の安定性や効果の同等性について注意が必要な場合があります。希望する場合は医師や薬剤師に相談しましょう。
このほか、新しいタイプの抗エストロゲン薬であるフルベストラント(商品名:フェソロデックス)が、閉経後の再発・進行乳がんの治療薬として使用されています。この薬は注射薬で、エストロゲン受容体の分解を促進する作用があります。
2. アロマターゼ阻害薬
アロマターゼ阻害薬は、主に閉経後の女性に対して使われる薬です。閉経後は卵巣でのエストロゲン産生が停止し、代わりに副腎皮質から分泌されるアンドロゲン(男性ホルモン)からエストロゲンが作られます。
アロマターゼは、アンドロゲンがエストロゲンに変換される際に働く酵素です。アロマターゼ阻害薬はこの酵素の働きを阻害することで、乳がんの栄養源となるエストロゲンの量を減らします。
現在使用されているアロマターゼ阻害薬には以下があります:
- アナストロゾール(商品名:アリミデックス)
- レトロゾール(商品名:フェマーラ)
- エキセメスタン(商品名:アロマシン)
これら3剤の効果はほぼ同等とされています。
3. LH-RHアゴニスト製剤
閉経前の女性では、エストロゲンは主に脳からの指令に従って卵巣で作られます。LH-RHアゴニスト製剤は、このエストロゲン産生の指令系統を阻害することで、エストロゲンが作られないようにする薬です。
脳の視床下部から下垂体に対し性腺刺激ホルモン放出ホルモン(LH-RH)が分泌されると、下垂体は性腺刺激ホルモン(LH)を分泌して卵巣を刺激し、卵巣がエストロゲンを分泌します。LH-RHアゴニスト製剤はLH-RHの働きを阻害して、卵巣がエストロゲンを産生しないよう作用します。
現在使用されているLH-RHアゴニスト製剤には以下があります:
- リュープロレリン(商品名:リュープリン)
- ゴセレリン(商品名:ゾラデックス)
4. その他のホルモン療法薬
黄体ホルモン薬のメドロキシプロゲステロン(商品名:ヒスロンH)は、間接的に女性ホルモンの働きを抑制する薬です。閉経前・閉経後の両方の方に使用できますが、比較的副作用が強いため、初期治療で用いられることはほとんどありません。再発・転移の治療で、他のホルモン薬が効かなくなった時に使われています。
2025年の最新治療:CDK4/6阻害薬との併用療法
2025年現在、ホルモン受容体陽性HER2陰性の進行・再発乳がんの治療では、従来のホルモン療法にCDK4/6阻害薬を併用することが標準的な治療となっています。
CDK4/6阻害薬とは
CDK4/6阻害薬は、細胞の増殖に関わるサイクリン依存性キナーゼ(CDK)4および6を阻害することで、がん細胞の分裂を停止させる分子標的薬です。従来のホルモン療法単独と比較して、無増悪生存期間を約1年延長する効果が認められています。
現在使用可能なCDK4/6阻害薬には以下があります:
- パルボシクリブ(商品名:イブランス)
- リボシクリブ(商品名:キスカリ)
- アベマシクリブ(商品名:ベージニオ)
早期乳がんへの適応拡大
2025年現在、再発リスクの高い早期乳がんに対しても、CDK4/6阻害薬の術後補助療法としての使用が承認されています。特にアベマシクリブは、リンパ節転移陽性で再発リスクの高い患者さんに対して、通常の術後ホルモン療法に加えて最長2年間投与することで、再発リスクを低下させることが示されています。
閉経状況によるホルモン療法の選択
ホルモン薬の選択は、閉経前か閉経後かによって大きく異なります。これは、閉経前と閉経後でエストロゲンが産生される場所や仕組みが違うためです。
閉経前の場合
閉経前の場合には、LH-RHアゴニスト製剤と抗エストロゲン薬を併用するのが基本です。具体的には以下のような治療が行われます:
- タモキシフェン5年間単独
- LH-RHアゴニスト製剤2~3年間とタモキシフェン5年間の併用
- 高リスクの場合:LH-RHアゴニスト製剤とタモキシフェン5~10年間の併用
LH-RHアゴニスト製剤のみを投与することはありません。
閉経後の場合
閉経後の場合には、アロマターゼ阻害薬を5~7年間投与するのが標準的です。2025年現在の最新の研究では、アロマターゼ阻害薬の投与期間について新たな知見が得られています。
以下のような治療パターンがあります:
- アロマターゼ阻害薬を最初から5~7年間投与
- タモキシフェンを2~3年間投与後、アロマターゼ阻害薬に切り替えて合計5~7年間
- タモキシフェンを5年間投与後、再発リスクが高い場合にアロマターゼ阻害薬を2~5年間追加投与
閉経の判定
閉経の判定は以下の基準で行われます:
- 45歳以上で12か月以上月経がない場合
- 60歳以上の場合
- 両側の卵巣を摘出している場合
ホルモン療法中は薬の作用で月経が止まることがあるため、血液中のエストロゲンやFSH(卵胞刺激ホルモン)の濃度、年齢などを総合的に考慮して医師が判断します。
ホルモン療法の治療期間:最新のエビデンス
ホルモン療法の治療期間については、2025年現在、従来の5年間から延長する傾向にあります。最新の臨床試験結果に基づく推奨期間は以下の通りです。
タモキシフェンの場合
ATLAS試験の結果により、タモキシフェンの10年投与は5年投与と比較して:
- 再発リスクを3.7%減少
- 死亡率を2.8%減少
- 乳がん死亡率を25%減少
これらの結果を受けて、現在では高リスクの患者さんに対してタモキシフェン10年投与が推奨されています。
アロマターゼ阻害薬の場合
2021年に発表されたSALSA試験の結果により、アロマターゼ阻害薬の投与期間について重要な知見が得られました。この試験では:
- 7年投与群と10年投与群で再発リスクに有意差なし
- 10年投与群では骨折などの副作用のみが増加
この結果を受けて、現在では多くの専門医がアロマターゼ阻害薬の投与期間を7年としています。
ホルモン療法の副作用と対策
ホルモン療法では、女性ホルモンの作用を抑制することにより、更年期のような症状が現れることがあります。
主な副作用
- ほてり、のぼせ
- 発汗
- 頭重感
- 関節痛
- 骨密度の低下
- うつ症状
タモキシフェン特有の副作用
タモキシフェンを使用する場合、子宮体がんのリスクが数倍高まるとされています。ただし、一般女性の子宮体がん発症率は1000人中3~4人で、これが10人前後に増えるというリスク度合いです。重要なのは不正出血などの異常があった場合は、すぐに婦人科を受診することです。
アロマターゼ阻害薬特有の副作用
アロマターゼ阻害薬の長期服用では、骨粗しょう症のリスクが高まります。定期的な骨密度検査と、必要に応じてビスフォスフォネート薬などの骨粗しょう症治療薬の併用が推奨されます。
2025年の新たな治療選択肢
2025年現在、ホルモン受容体陽性乳がんの治療には、従来のホルモン療法に加えて以下のような新しい治療選択肢があります。
PI3K/AKT経路阻害薬
PIK3CA、AKT1、PTEN遺伝子変異を有するホルモン受容体陽性乳がんに対して、カピバセルチブ(商品名:トルカプ)が承認されています。この薬はCDK4/6阻害薬による治療後の新たな選択肢として期待されています。
次世代型ホルモン療法薬の開発
選択的エストロゲン受容体分解薬(SERD)など、より効果的で副作用の少ない新しいホルモン療法薬の開発も進んでいます。
ホルモン療法を受ける患者さんへのアドバイス
ホルモン療法は長期間にわたる治療です。以下の点に注意しましょう。
定期的な診察の重要性
ホルモン療法中は、3か月から6か月ごとの定期的な診察を受け、副作用の確認や血液検査を行います。副作用が強い場合は、薬剤の変更や休薬も検討されます。
生活習慣の注意点
- 骨密度低下予防のため、カルシウムとビタミンDの摂取を心がける
- 適度な運動を継続する
- 禁煙・節酒を心がける
- 体重管理に注意する
妊娠希望がある場合
ホルモン療法薬には催奇形性があるため、治療期間中の妊娠は避ける必要があります。妊娠を希望する場合は、治療計画について医師とよく相談することが重要です。