そもそもウイルスとは?
ウイルスは細菌よりもはるかに小さく、生きた細胞(宿主)のなかでしか増殖できません。
細胞に感染して侵入すると、そこでウイルス自身の設計図であるDNAやRNAを放出し、細胞を乗っ取って新しいウイルスを次々と増やします。
こうしてできた新しいウイルスが細胞の外へ広がり、ほかの細胞にも感染して増殖を繰り返す、という仕組みです。
がん治療で注目を浴びている「腫瘍溶解性ウイルス」はウイルスの仕組みを利用してがん細胞をせん滅させるためのものです。
腫瘍溶解性ウイルスの特徴
腫瘍溶解性ウイルスは、正常細胞では増殖せず、がん細胞に感染したときだけ爆発的に増えるのが大きな特徴です。
ウイルスに感染し、細胞内でウィルスが増殖したがん細胞は溶けていくように変形して破壊されます。これが「溶解」とよばれる理由です。
壊れた細胞からウイルスは周囲へ広がり、次々とがん細胞に感染して壊していきます。
正常細胞は感染したとしても、そこではウイルスは増殖しないため、やがて患者の免疫によってウイルスとともに排除され、体内の正常な組織はウイルスの攻撃から守られます
さらに、腫瘍溶解性ウイルスはがん細胞を直接叩くことに加えて、がん細胞の目印(抗 原)を体内の免疫細胞に教えることができます。このため、患者自らの免疫機能を高めて、がん細胞への攻撃力をアップする効果も期待できるとされています。
腫瘍溶解性ウイルスのもとになるウイルスは、一般的な風邪を起こす「アデノウイルス」や、口唇へルペスの原因となる「単純へルペスウイルス」、「麻疹(はしか)ウイルス」などさまざまなものが研究されています。
米国では2015年に単純へルペスウイルスを使った、「悪性黒色腫」の治療のための腫瘍溶解性ウイルスがはじめて承認されました。
ウイルスががん細胞を壊す仕組み
正常細胞の場合は、ウイルスに感染するとウイルスを周囲へばらまかないようにするために、自らを死に誘導する「アポトーシス」(細胞死)という仕組みがはたらきます。
体内に問題が広がらないように、感染した細胞が自殺をします。
しかし、がん細胞は無限に増殖するという特徴があるため、アポトーシスの機能が失われています。
腫瘍溶解性ウイルスに感染したがん細胞は、ウイルスの増殖に耐えきれずにゆるやかに壊れていき、「溶解」のようにみえる死に方をします。
ウイルスががん治療に利用されるようになった背景
がんの治療にウイルスが役に立つのではないかという可能性は、人類がウイルスをみつけた約100年前から知られていました。
骨髄性白血病の女性がインフルエンザと推定される感染症にかかったあと、白血病の代表的な症状である肝臓や脾臓の肥大がほぼ通常サイズに小さくなったという報告や、リンパ性白血病の少年が水ぼうそうに感染したあと、骨髄検査をしたところ寛解状態になっていたという報告、また、子宮頸がん患者に狂犬病ワクチンを接種したところ、腫瘍が小さくなったという報告などがありました。
実際に、がん治療においてウイルスを使うようになったのは、1950年頃です。当初は、自然界からがんに効くウイルスを探しだす研究が進められました。
ホジキンリンパ腫の患者にB型肝炎ウイルスをふくむ血清などを投与したり、白血病やリンパ腫などの患者にウエストナイルウイルスを投与したりする、といった臨床試験では、症状が改善する患者がいた一方で、ウイルス感染による重い副作用を起こす例も相次ぎました。
また、副作用が穏やかなアデノウイルスを使った臨床試験では、子宮頸がん患者の腫瘍の壊死が確認され、そのうえで、患者自身の免疫によって数カ月でウイルスは排除されていました。
しかし、ウイルスによるがん治療は有効性や安全性に欠けるという見方が大勢を占めるようになりました。
病気を引き起こすウイルスを患者へ投与する研究手法も問題となり、1970年代以降は次第に研究が減っていきました。当時は、ウイルスを人為的にコントロールする技術がなかったことも、研究が広がらなかった背景にあります。
その後1990年ごろから、分子生物学や遺伝子工学の技術が進展しました。
まず遺伝子治療の研究分野では、ウイルスを遺伝子の「運び屋」(ベクター)として使うようになりました。
ウイルスはピンポイントで目的の細胞に遺伝子を届けはするものの、増殖に必要な遺伝子を欠損させているので増殖はしないため、「安全な運び屋」として活用範囲が広がりました。
やがて、遺伝子を届けた特定の細胞のなかだけでウイルスを増殖させる方法があれば、病気の治療につながる可能性があるのではないか、と考えられるようになりました。
さらに、遺伝子工学の技術によって、ウイルス自体の遺伝子を改変し、安全性や有効性を高めることが可能になれば、がん治療の新たな担い手になるのではないかと、再び脚光をあびることになりました。
現在では、様々な腫瘍溶解性ウイルス(ワクシニアウイルスなど)の研究、臨床試験が行われています。