がんはまれに、とくに手術や抗がん剤などのいわゆる「西洋医学的な治療」を行わないにもかかわらず自然に消失して治癒することがあります。消失しないまでも、がんの成長が止まった例も数多く知られています。
研究者の間で知られているのは、19世紀に記録されたある中年女性の例です。彼女は顔の肉腫でしたが、あるとき丹毒という皮膚の病気にかかり、何日も高熱を発して苦しみました。しかし丹毒になってから1週間後、奇妙なことに顔の肉腫が半分ほどに縮小し、転移によって腫れていた首のリンパ節も小さくなっていました(ただし彼女はその数日後に死亡したのですが)。
他にも、悪性度の高い皮膚がんであるメラノーマ(悪性黒色腫)は、まれに自然治癒することが知られています。また乳幼児に多い神経芽腫という神経がんは、1歳以下で発症した患者の半数が自然に治癒すると報告されています。
これらのがんが自然治癒するしくみは明らかになってはいませんが、いくつかの理由が考えられています。
第1は、自然治癒する患者に発熱の経験が多いことから、高熱によってもともと熱に弱いがん細胞が死滅したというものです。
第2は、自分の体を守る免疫システムが原因とする見方です。発熱は、細菌やウイルスに感染したときに起こりやすいといえます。そこで、こうした病原体の感染などによってがん患者の免疫が非常に強力にはたらくようになり、その結果、病原体とともにがん細胞も駆逐されるというのです。
第3はおもに前記のような神経芽腫の自然治癒についてですが、がん細胞の内部で自らを死に導く何らかのシステムが発動するというものです。
日本人に非常に多い胃がんにも興味深い事例があります。これは厳密には自然治癒とはいえないものの、胃に発生する悪性リンパ腫の一種である胃マルトリンパ腫は、自然治癒に近い経過をたどることがあります。
胃マルトリンパ腫の患者の90パーセント以上はもともとピロリ菌に感染しており、マルトリンパ腫発生のおもな原因はこの細菌と考えられています。最近では、ピロリ菌を除菌すると、それだけで患者の70~90パーセントが治癒することがわかっています。
一般に、がんがいったん発生すると、原因となった因子(発がん物質や放射線など)を取り除いても、がんは勝手に成長します。その意味で、ピロリ菌の除菌のみでリンパ腫が治るというのは奇妙であり、そのしくみはよくわかっていません。
これに対して、同じくピロリ菌がおもな原因のひとつとされている一般的な胃がん(胃の上皮がん)は、自然治癒はしないと見られています。
もっとも胃がんの多くは初期にはきわめて進行が遅く、診断後3~5年たっても早期がんのままである例も知られています。診断後、何の治療もせずに17年間生存した患者についての報告もあります。
したがって、進行の遅い胃がんが発生すると免疫系が強くはたらくようになり、それによってがんが消失するというのはあり得ることのようにも思えます。
とはいえ、実際にそのようなことが起こり得るとしても、がんが発見された時点では自然治癒が起るかどうかは予測できません。また放置してがんが進行すれば治療はきわめて困難になります。
がんの進行とは、がん細胞の増殖によってがんが広がるだけではなく、がん細胞が転移や浸潤する能力を身に着けて悪性度を高めていくことをも意味します。がんが自然治癒する例はたしかに存在するものの、がんを発症したときに「私は何もしなくても治るかもしれない」とあまり根拠のない期待を抱くのはリスクが高いことだといえます。