乳がんの遺伝子検査とは
乳がんの遺伝子検査は、手術で摘出した腫瘍組織を用いて複数の遺伝子の発現状況を解析し、個々の患者さんの再発リスクを予測する先進的な検査法です。従来の病理組織学的因子(腫瘍の大きさ、リンパ節転移の有無、グレードなど)だけでは判断が困難だった患者さんに対して、より精密な治療選択を可能にします。
現在世界で広く使用されている代表的な遺伝子検査には「Oncotype DX(オンコタイプDX)」と「MammaPrint(マンマプリント)」があります。これらの検査により、化学療法が本当に必要な患者さんを特定し、不必要な治療による副作用を回避できる可能性があります。
Oncotype DXの詳細と最新情報
Oncotype DXとは
Oncotype DXは、アメリカのジェノミックヘルス社(現在はエグザクトサイエンス社)が開発した21遺伝子アッセイです。この検査は、ホルモン受容体陽性、HER2陰性、リンパ節転移陰性または1-3個までの浸潤性乳がん患者を対象としています。
検査では、再発に関わる16個のがん関連遺伝子と5個の参照遺伝子の発現量を測定し、独自のアルゴリズムにより0から100までの数値で表される「再発スコア(RS:Recurrence Score)」を算出します。このスコアは、18未満が低リスク、18以上31未満が中間リスク、31以上が高リスクに分類されます。
日本での保険適用について
2025年現在、Oncotype DXは日本で大きな進展を遂げています。2023年9月1日から公的医療保険の適用となり、これまで45万円程度の自費負担が必要だった検査が保険診療で受けられるようになりました。
保険適用により、より多くの乳がん患者さんがこの検査の恩恵を受けられるようになり、個人の医療費負担軽減だけでなく、国全体の医療費削減にも貢献することが期待されています。現在、世界中で100万人以上の患者さんがこの検査を受けており、米国はもとより欧州でも標準診療の一環として用いられています。
検査の流れ
Oncotype DXの検査は以下のような流れで行われます:
1. 手術で採取した乳がん組織を保存する
2. 検査を受けるかどうかを医師と相談して決める
3. 受ける場合は検査会社へ検体を送る
4. 3-4週間で検査結果の報告を受ける
5. 結果に基づいて術後の薬物治療を検討する
MammaPrintの詳細と最新情報
MammaPrintとは
MammaPrintは、オランダのAgendia社が開発した70遺伝子シグニチャーを用いた遺伝子検査です。この検査は、がんの予後と関連する70個の遺伝子の発現データをスコア化し、ハイリスクまたはローリスクのいずれかに明確に分類します。
検査結果は-1から+1のスケールで表され、0以下はハイリスク(10年以内の遠隔転移リスクが高い)、0以上はローリスク(10年以内の遠隔転移リスクが10%以下)と判定されます。特に+0.355以上のスコアはウルトラローリスクとして分類され、タモキシフェン治療により8年で99%以上、20年で97%の乳がん特異的生存率が期待できます。
BluePrintとの組み合わせ
MammaPrintは、しばしばBlueprint検査と組み合わせて実施されます。BluePrintは、がん細胞の遺伝子情報に基づいてがんを分子サブタイプに分類し、ホルモン療法、化学療法、HER2療法などのどの薬が治療に適しているかの情報を提供します。
MINDACT試験の重要性
MammaPrintの有効性は、MINDACT試験という大規模臨床試験で証明されています。この試験では、早期乳がんの手術を受けた女性6,693名(9カ国112施設)を対象に実施され、従来の検査で再発リスクが高いと分類された患者の約50%がMammaPrintではローリスクに再分類され、化学療法を回避しても治療成績に影響がないことが示されました。
最新の研究動向と2025年の状況
AI技術との統合
2025年の最新研究では、病理画像のAI解析と従来の遺伝子検査を組み合わせたマルチモーダルAI検査が開発されています。この新しい検査法は、Oncotype DXよりも高い精度で再発リスクを予測できることが報告されており、特にトリプルネガティブ乳がんなど、従来の検査では対応が困難だった症例にも適用可能とされています。
リアルワールドデータによる検証
2025年には、MammaPrintの化学療法予測効果に関する大規模なリアルワールドデータ研究(FLEX Study)の結果が発表されました。この研究では、1,002名のホルモン受容体陽性HER2陰性早期乳がん患者を対象に、MammaPrintのスコアと化学療法の効果の関係が詳細に解析されています。
研究結果では、MammaPrint High Risk 2(H2)に分類された患者が化学療法から最大14.2%の絶対的利益を得られる一方、Low Riskまたは UltraLow Risk患者では化学療法の利益が最小限であることが示されました。
検査の適応と制限事項
適応となる患者
両検査ともに特定の条件を満たす患者が対象となります:
検査名 | 主な適応条件 |
---|---|
Oncotype DX | ホルモン受容体陽性、HER2陰性、リンパ節転移陰性または1-3個 |
MammaPrint | ステージI-II、手術可能なステージIII、リンパ節転移0-3個 |
日本人での有効性について
重要な注意点として、これらの検査は主に欧米人を対象とした臨床試験で開発されており、日本人女性での有効性については十分なデータが蓄積されていません。現在も欧米で臨床試験が進行中であり、日本人での適用には慎重な検討が必要です。
費用と検査体制
Oncotype DXの費用
2023年9月からの保険適用により、Oncotype DXは保険診療で受けることができます。保険適用前は約45万円の自費負担が必要でしたが、現在は保険制度により患者負担が大幅に軽減されています。
MammaPrintの費用
MammaPrintは現在も保険適用されておらず、自由診療での実施となります。費用は医療機関により異なりますが、約30-40万円程度とされています。加入している民間保険の商品により給付金が支払われる場合があるため、詳細は各保険会社への確認が必要です。
検査を受ける際の注意点
十分な説明と同意
遺伝子検査を受ける前には、担当医から以下について十分な説明を受けることが重要です:
- 検査の目的と限界
- 費用と保険適用状況
- 結果が治療選択に与える影響
- 日本人での有効性に関するエビデンスの現状
従来の病理検査との関係
病理検査による腫瘍の悪性度診断とリンパ節転移の有無から、予後の予測と適切な薬物療法の選択はある程度可能になっています。まずはそれを十分に把握したうえで、遺伝子検査の必要性を検討することが重要です。
今後の展望
精密医療の発展
乳がん遺伝子検査は、患者一人ひとりの特性に合わせた精密医療の実現に向けた重要なツールとして位置づけられています。患者さんは一人ひとりの再発率や治療効果を知った上で、自分に合った治療を選択したいと考えており、これらの検査がその実現に貢献しています。
検査技術の進歩
AI技術の導入や新たな遺伝子マーカーの発見により、検査精度の向上と適用範囲の拡大が期待されています。特に、従来の検査では対応が困難だったトリプルネガティブ乳がんなどの症例への応用が期待されます。
まとめ
乳がんの遺伝子検査「Oncotype DX」と「MammaPrint」は、個々の患者さんの再発リスクを精密に予測し、最適な治療選択を支援する革新的な検査法です。特にOncotype DXの保険適用により、日本の乳がん診療における遺伝子検査の活用が大きく前進しました。
これらの検査は、化学療法が本当に必要な患者さんを特定し、不必要な治療による副作用を回避できる可能性を提供します。ただし、日本人での有効性データは限定的であり、担当医との十分な相談のもとで検査の適応を検討することが重要です。
今後も技術革新により検査精度の向上が期待され、乳がん患者さんにとってより良い治療選択肢の提供につながることが期待されます。
参考文献・出典情報
1. 乳がんの遺伝子検査 – オンコタイプDX、マンマプリントの有効性と課題 | キューライフ
2. 乳がん遺伝子検査(オンコタイプDX)の保険適用について - たかはし乳腺消化器クリニック
5. CQ11 ホルモン受容体陽性HER2陰性乳癌に対して,多遺伝子アッセイの結果によって,術後化学療法を省略することは推奨されるか? | 乳癌診療ガイドライン2022年版
6. 「乳がん患者さんは一人ひとりの再発率や治療効果を知った上で、自分に合った治療を選択したいと思っている」 | PR TIMES
7. オンコタイプ DX 乳がん再発スコアプログラムが保険適用へ、9月1日保険収載見込み | オンコロ
8. Multi-modal AI for comprehensive breast cancer prognostication | arXiv