肛門近くの直腸がんでも肛門を温存できる?
直腸がんの手術が必要となった場合、肛門を温存できるかどうかはとても大きな問題です。
人工肛門になる、ということの嫌な気持ち・抵抗感はとても強く、できれば人工肛門を避けたいと誰もが願うことだといえますが、がんのできている部位が肛門に近い場合には早期がんであっても、肛門を残せないことになります。
どうにかして肛門を温存できないか、ということは医療界にとっても、患者にとっても大きなテーマでしたが、近年手術の技術が改良され、肛門のかなり近くにがんができていても、肛門を残せる可能性が高くなってきました。
できるだけ肛門を温存するための「括約筋間直腸切除術(ISR)」とは
肛門近くにがんができている場合、以前から行われているのは、肛門をがんとともに切除する「腹会陰式直腸切断術(APR)」という手術法です。この場合、腹部に永久の人工肛門(ストーマ)を造設し、そこから便を排泄することになります。
この手術法は、がんの腫瘍とその周辺の組織を切除することで「再発を防ぐ」という点では優れているといえますが、肛門が失われるのが最大の問題点でした
そこで肛門を温存する手術法は多くの医療機関で研究され、かなり肛門に近いがんでも、肛門を残す手術ができるようになってきました。
しかしこれまでは残した肛門をしっかり機能させるためにも「肛門括約筋(こうもんかつやくきん)」を切除することはできない、と考えられていました。
肛門括約筋を切除すると肛門を閉じる機能も失われるため、肛門を残すほうが日常生活に影響を与えることになってしまいます。
そこで肛門括約筋のうち、重要な役割を担う部分だけ残して肛門括約筋を含めた直腸の切除手術をする方法が研究されてきました。
実は肛門括約筋には、内肛門括約筋と外肛門括約筋という2つの筋肉があります。
外肛門括約筋を残せば、内肛門括約筋の一部を切除しても肛門機能は温存できることがわかってきたのです。こうして「内肛門括約筋の切除を伴う肛門温存手術」が行われるようになりました。
この手術法は、外肛門括約筋と内肛門括約筋の間を切ることから「括約筋間直腸切除術(ISR)」(※内肛門括約筋切除術ともいう)と呼ばれています。
この手術法が最初に日本に導入されたのは2000年ごろでしたが技術的な難易度や、数年後の長期的な成績がはっきり分からなかったので一部の施設での実施に留まっていました。
ですが「大腸癌治療ガイドライン」にも2014年版からこの手術法に関して記載されるようになりました。まだ標準的な手術とはいえませんがこの手術を行える医療機関は着実に増えてきています。
5年生存率は人工肛門の場合とほぼ同じ
ISRには、乗り越えなければならない課題が2つありました。1つは再発率です。苦労して肛門を残しても、再発率が上がってしまっては意味がありません。
人工肛門にすれば再発しなかったはずなのに、内肛門括約筋切除術にしたがために再発してしまった、ということではがん治療としては失敗で本末転倒になります。
もう1つは機能の問題です。内肛門括約筋を切除しても、これまでどおり肛門として機能させることができるのか、という点です。
再発に関しては、手術が行われるようになってから年数が経つことで、かなりデータが蓄積されてきました。東邦大学医療センター大森病院のデータでは5年生存率は、内肛門括約筋切除術が88.0%、腹会陰式直腸切断術が80.8%となっています。
つまり統計学的に差はなく、どちらでも変わらないという結果だといえます。他の医療機関が出しているデータも類似しており、内肛門括約筋切除術が適応となる場合で正しく手術が成功すれば再発が多くなることはないといえます。
本当に肛門の機能は変わらないか?今までどおり排便できるのか?
いっぽう、手術後の肛門機能は、内肛門括約筋と外肛門括約筋が揃っていた手術前に比べると、どうしても低下します。どのくらい機能が残るかは個人差があり、やはり手術前と全く同じというわけにはいかないようです。
なぜそうなるのでしょうか。
まず、「内肛門括約筋」と「外肛門括約筋」の働きを理解することが重要です。
内肛門括約筋は内臓の筋肉なので自分の意思で動かすことができません。
いっぽう外肛門括約筋は普通の筋肉と同じで意思で動かすことができます。肛門を締めようと思えば締められるのは、そのためです。
内肛門括約筋は意思とは関係なく働いています。例えば眠っているとき、とくに肛門を締めようと意識していなくても便が漏れないのは、意思とは関係なく内肛門括約筋が働いてくれているからです。
この内肛門括約筋を部分的にでも切除することになるので、どうしても肛門機能には影響が生じます。具体的には、次のような変化が現れてくることがあります。
・排便回数が増える
直腸は膨らんで便を留めることができるが、直腸を切除して結腸をつなぐため、便を留める機能が失われ排便回数が多くなる。
・排便を我慢できなくなる
便意を感じてから、我慢しているのが難しくなる。また、便かガスかを見極めることができなくなるため、トイレに行く回数が増える。
・便失禁が起きるようになる
寝ている間に漏れる、気づかぬうちに漏れて下着が汚れる、といったことが起きる。
なお、内肛門括約筋切除術(ISR)は、どこまで切除するかによって3つに分類することができます。
肛門括約筋を部分的に残し歯状線あたりで切除する「パーシャルISR」、内肛門括約筋を全部切除する「トータルISR」、その中間型の「サブトータルISR」です。
内肛門括約筋の残り方が違うので、どの手術法を選択するかで、残された肛門機能にも差があります。
手術後2年ほどすると、機能が徐々に回復すると言われていますが実際のところはわかりません。便失禁がある程度あっても、「しかたない」と受容するようになったとも考えられます。
また最近では、機能を回復させるためのリハビリテーションも考えられています。最も実施しやすいのが、肛門括約筋を締めたり緩めたりする肛門体操です。
残っている外肛門括約筋は鍛えればそれだけ強くなります。ただ、筋肉は加齢とともに衰えるため、高齢になると肛門機能が次第に低下してくることがあります。
少なからず日常生活には影響があるため、人工肛門にするか冷静に判断することが大事
温存手術といっても、これまでと同じ感覚で排便をコントロールできるわけではないのです。そのため無理をしてでも内肛門括約筋切除術を行い、肛門を温存したほうがいいというわけではありません。
また、再発のリスクが高い人は内肛門括約筋切除術には向きません。例えば、直腸の所属リンパ節に数多くの転移がある場合、がんが大きくて周囲臓器への浸潤が疑われる場合などです。肛門を温存できたとしても、再発リスクを多く残したままでは手術自体の意味がなくなるといえます。
さらに、寝たきりの人に内肛門括約筋切除術を行うことは勧められませんし、車椅子の生活の人や、歩くのに杖が必要という人も、何度もトイレに行くのは大変です。自分のライフスタイルなども考慮して、どの手術を受けるのかを決めるべきだといえます。
納得いく治療、後悔しない治療を選択するためには、選択肢となる治療法について正しい知識を持つことも大切です。
内肛門括約筋切除術について詳しく説明を受けるだけでなく、人工肛門についても最新の情報を得ておくべきです。その上で、自分にとってはどちらが適しているのかを判断することが大切です。
内肛門括約筋切除術は、再発についての心配は低くなっているが、機能面の問題はまだ残されていると言えます。とにかく肛門を残したいという気持ちだけで決めてしまうのではなく、手術後の生活をよく考えしっかりメリットとデメリットを比較して決めることが重要です。
以上、直腸がんの手術についての解説でした。
がんと診断されたあと、どのような治療を選び、日常生活でどんなケアをしていくのかで、その後の人生は大きく変わります。
納得できる判断をするためには正しい知識が必要です。