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私ががん治療専門アドバイザーになった経緯

【 全ての選択は結果をともなう 】

良い結果=がんを克服することを望むなら、全ての選択を正しいものにしなければなりません。

どの病院を選ぶのか。どの治療法を選ぶのか。どんな食生活をすべきなのか?

正解を選び続け、ムダなことや間違いをしないこと。

がんとの闘いでは、まさに「全ての選択によって結果が決まる」のです。

がんはとても厳しい病気です。甘くは見ていません。

過去、私は「がん」という病気に、大切なものをたくさん奪われました。

無知で、情報に翻弄されるだけだった若い頃の私は、がんに立ち向かうことすらできず、大事な命が消えていくのを黙って見ていることしかできませんでした。

「どうすればがんに勝てるのか?」

がん治療に関する誤った情報、ねつ造、ウソ。

先進医療の論文や、体験者が語る真実。

これらを徹底して調査するうち、私は「がんに苦しむ人たち」にアドバイスをするようになっていきました。

やがてその活動はボランティアを経て「仕事」となり、人生を捧げるライフワークになりました。

10年前に最初に接した方から、今日サポートをしている方まで、がんに苦しむ人に対して願っていることはずっと同じです。

「事実を知り、正しい知識を持つことでがんを克服し、大切なものを守って欲しい」

このサイトを訪れたあなたにも、そうなってほしいと思っています。

今、あなたの大切な人ががんになって、助けたいと願っているなら。

その気持ちは痛いほどよく分かります。どうか苦しんでいる大切な人の支えになってあげてください。

そして、あなたが患者さん本人なら。

あなたの命は、あなただけのものではない。

だから自分自身の命と人生を守って欲しい。

あなたの笑顔はあなただけのものではありません。あなたが笑うことで幸せになれる人がいるのです。

苦しいときほど冷静に、落ち着いて、進むべき道を見極めることが大切です。

なぜそう言えるのか?

私の人生もまた、病気との闘いだったからです。

病気に苦しんだ子供時代

10歳の夜。

私は体中から血を流し、「ヒューヒュー」と荒い呼吸をしながら、豆電球をつけただけの薄暗い台所の椅子に座っていました。

時計をみると深夜2時。両親と兄は2階の部屋で寝ていましたが、私は一人で眠れない夜に耐えていました。

血を流していた原因はアトピー性皮膚炎。ヒューヒューという呼吸の原因は喘息(ぜんそく)です。

アトピーが重症になると体の皮膚が裂けて血や膿が出ますが、それでも痒くてさらに掻いてしまい、もっと悪化して気が狂うほどの痒みと痛みに襲われます。

当時、喘息向けの吸引薬はまだ登場しておらず、発作が起きたときにできることは「ひたすら耐える」だけです。横になると呼吸ができないので椅子に座っていたのです。

「なんで僕だけこんな目に合うんやろ。死にたい。」

それが私の人生における「病との闘い」のはじまりでした。

アトピーに対しては病院でもらったステロイドを塗りたくるも、急激に悪化してはひとりで泣く。

旅行に連れていってもらっても、環境の変化に敏感で、夜になると必ず喘息になって眠れない・・・。

そうやって苦しい子供時代は過ぎていきました。

「アトピーや喘息は大人になれば自然に治るもんだよ」

ある医者にそう言われたことを信じ、はやく大人になりたいと思いながら、なんとか頑張って生きていました。

後にその医者の言葉はウソだったことを思い知ることになるのですが。

がんとの出会い

18歳のとき。

兄のように慕っていた「いとこのカズミチ君」を悪性リンパ腫で亡くしました。

それが「がん」との最初の出会いでした。

4つ年上のカズミチ君は、面白い漫画を教えてくれたり、ガンダムのプラモデル作りを教えてくれたりする優しい人でした。

バイト代を貯めて買ったスポーツカーの助手席には私を一番に乗せてくれました。

知らない世界を教えてくれる彼の家は遠かったですが(私は奈良で彼は京都)、遊びに行くのをいつも楽しみにしていました。

ある夏の日。

冬には分からなかった彼の首回りの腫れに気が付きました。「どうしたん?」と聞いても「あ~、なんでもないし」という返事。

なんか様子がおかしいな?と思いつつ、それ以上は聞かないでいました。

しかし秋になると、彼は入院しました。

お見舞いに行くと、カズミチ君はとても痩せており、首の腫れもかなり大きくなっていました。

「おう、大丈夫やから」と笑う彼の顔は覚えていますが、自分が何を話したのかは覚えていません。彼の様子を見て、ただごとではないと気づいたからです。

家に帰ってから、おそるおそる親に病名を聞きました。

「あくせいりんぱしゅ?」

耳に覚えのない言葉を聞いたとき、今であればインターネットで調べますが、当時はネットがありません。

大きな書店に行き、専門用語だらけの医学書を読んでみて「命に関わる病気」だということだけは分かりました。

「え?」と思いましたが、大きな病院へ入院してるしきっと大丈夫!・・・と、無知ゆえの都合のよい解釈をして、不安にフタをしたのです。

それから数か月、あまりカズミチ君のことを考えないようにしながら過ごしていました。二度目のお見舞いには、なんとなく行けませんでした。

そしてその年の冬。

彼は亡くなりました。

葬儀の日、私は涙も流さず、ただ茫然としていました。

何が起きたのか、理解できていませんでした。

「こないだ車に乗せてもらったばっかりやんか。入院もして治療してたんちゃうんか。もう会われへんなんて聞いてない」そんな言葉ばかりが頭を巡っていました。

ショックで当時の記憶は断片的ですが、脳裏に焼き付いているのは、カズミチ君のお父さんとお母さんの姿でした。

大事な一人息子を失い、憔悴しきって、ただ泣いていました。

私は「おばちゃん、大丈夫?」と蚊の鳴くような声で話しかけるのがやっとでした。

「うん、来てくれてありがとうね」と私よりも小さな声でカズミチ君のお母さんは答えてくれました。

それは、私が彼女と交わした最後の会話になりました。

カズミチ君の葬儀から約2年後。

お母さんも息子の後を追うように、悪性リンパ腫で他界したのです。

(彼女にはもともと首回りに腫れがありました。彼女もカズミチ君もリンパ腫ではなく遺伝性の多発性内分泌腫瘍(ホルモン関連のがん)だったのではないか?と今になって思っています)

息子の死後、生きる意味を無くされたのか、食欲もなく衰弱し、入退院を繰り返していることは知っていましたが、まさか亡くなるとは・・・。しかも同じ病気で。

久しぶりに来た京都のカズミチ君の家で、また葬儀。

最愛の息子と妻を立て続けに失ったカズミチ君のお父さんは大工で、寡黙な人でした。喪主の席でも、ずっと無表情で宙を眺めていました。

彼は昔からショートホープを1日40本吸っているヘビースモーカーでしたが、タバコの本数はさらに増えている様子で、そのときも絶え間なく吸っていました。

そのときすでに病魔に侵されていたのかもしれません。

間もなくしてカズミチ君のお父さんも肺がんで亡くなった、と親から聞かされました。

わずか数年のうちに、仲良くしていた家族が全員、目の前から消え去ったのです。

笑顔が絶えなかった京都の家は、やがて取り壊されました。

当時の感情を何と表現すればいいのでしょうか。

どんな感情になるべきかも分からない、という感じでした。

何もできないまま、人も思い出も、根こそぎ持っていかれていくのを、私は黙って見ていただけでした。

それでも原因だけは、はっきりしていました。

「がん」

がんがいかに怖い病気なのか。何を奪っていくのか。これでもかというほどの不安と恐怖と喪失感を私の体に刻み、がんは通り過ぎていったのです。

がんとの再会

そして32歳になったとき。

カズミチ君との思い出も薄れてきた2006年に、また「がん」目の前に現れました。

私に仕事のイロハを教えてくれた恩師と蕎麦を食べていたとき、顔色が悪いのが気になった私は「具合、悪いんですか?」と聞くと、

「うん、まいったよ・・・。膵臓がんなんだ」と教えてくれました。

「がん」という病気の怖さが蘇ってきた私は「なんとか力になりたい」と、手術や抗がん剤治療についての本を買い込んで勉強しました。

ゲルソン療法やビタミンC点滴などの代替療法、当時はあまり情報がなかった免疫療法やハスミワクチン、丸山ワクチンなどの民間療法についても徹底的に調べました。

彼はなんとか手術はできる状況で、膵頭部十二指腸切除を実施。

その後、私は調べたことを伝え、彼もできうる民間療法にトライしましたが一向に回復せず、手術からわずか5ヶ月後に他界しました。

「俺は大人になっても、何もできなかった」と、心臓が締めつけられるほど悔しく悲しい出来事でしたが、ほどなくして追い打ちをかけるように厳しい体調変化が起こりました。

アトピーの爆発的な悪化です。

どんな薬を飲んでも、どんな強い薬を塗っても、体中の痒みが収まることはなく、猛烈な痒みに夜も眠れず、シーツや布団は血だらけになり、体中の皮膚がボロボロになりました。

めったなことでは泣かない私の妻も泣いてしまうほどでした。

これはいわゆる「副作用」ではありません。薬の耐性(やがて効かなくなる性質)により、薬で抑えられなくなり、力で抑え込んでいた症状が爆発したのです。

体のいたるところから、顔や頭からも血や膿が流れ出ている状況なのに、一秒も休まることなく痒みが襲います。心も休まることがなく、眠ることすらできないという状況が延々と続きました。

極限の苦しみでした。

その頃の季節は春で、外では穏やかな日の光で満ちていましたが、自分自身の世界は地獄でした。

今まで病院でもらっていた薬は何も効かない。

ハウスダストなどのアレルギー物質を徹底的に避けても何も変わらない。

何をやってもどうしようもなくなったとき、意識もはっきりしない状態で、私はふとこう思いました。

「骨折とか心臓弁の手術とか、治療で治せるものもあるけど、治せない病気があるんだな。アトピーは薬で治らない。そういえばがんもそうだったな・・・」

それから私は「人間はどうすれば最も健康な状態になれるか」だけに照準を絞り、古今東西のあらゆる健康法や人体に関する研究の文献を調べました。

「病気の反対は健康。病気を見ずに健康だけを見てみよう」と思ったからです。

仕事にも行けず、どうせ眠れないので、昼夜を問わず目を真っ赤にしながら研究し、食事の改善、飲み水の改善、体をより正しい状態にするためのサプリメントなどで「自分の体をあるべき姿にする」ことだけを考えました。

出した答えを毎日コツコツ続けていると、数週間で症状が軽減してきました。

その後わずか3~4ヶ月でアトピー性皮膚炎をほぼ完治させることができたのです。

体質的に「アトピーでない人と同じ」ではないので、油断をして堕落した生活をしてしまうと症状が顔を出してきますが、原因やどうやって対処すればいいのかは分かっているので問題ありません。

現代医学では、「アトピーは飲み薬や塗り薬で症状を抑えることしかできず、治せない病気なので、なんとか症状を軽くしながら付きあうしかない」という位置づけです。

ですから、すっかり治した私のことは「奇跡のようなできごと」「偶然のできごと」ということになります。

しかし、実際には「治る病気なのに、治らないことばっかりしていた」だけでした。

アトピーがなくなってからは喘息も出なくなり、元気が出てきた私はふとこう思いました。

「がんも同じじゃないのか?」

「本当は治る病気なのに、治らないことばっかりしているのではないのか?」

それがサポート活動をはじめたきっかけです。

がんとの闘い

「できた腫瘍を臓器ごと切るか、毒性の強い薬を使うだけ」のがん治療に強烈な違和感を抱いていた私は、がんに関することをさらに本格的に調べ始めました。

「カズミチ君も、彼のお母さんもお父さんも、恩師も本当は助けられたのではないか?」という疑問を晴らしたい。

「この先、大切な人の誰かがまた絶対がんになる。そのときに黙って見送ることだけはしたくない」という思い。

その気持ちを持ち続けて研究をし続けることで「がんになったらどうすればいいか」が分かってきました。

2008年。

がんを克服するためのwebサイトを作り、メールマガジンの発行を始めました。それが私のアドバイザーとしての活動の第一歩でした。

もちろん、当初はボランティア活動でしたが、本腰を入れてサポートに専念するため2011年にサポート活動を「仕事」にしました。

副業ではなく本業として毎日「がん患者さんのサポートだけ」をしています。

そして2025年になりました。

私がサポートしてきた患者さんは累計で7,500名ほどになりました。

読んだ書籍は150冊をゆうに超え、論文や臨床試験の結果なども数え切れないほど目を通してきました。

知識として、あらゆるがんについて誰よりもよく知っていると思っていますが、私が得たものの中で最も価値があるのは「7,500名分の患者さんの体験」です。

何をしたらどうなったのか。何が失敗して成功したのか。

何が納得できて、何を後悔しているのか。

これら「生の声」「がん闘病のリアルな現状」こそ最も尊いものであり、ここにがんを克服するための「鍵」があるのです。

これまで接してきた患者さんの中には、がんを克服した患者さん、再発を長く防いでいる患者さんもたくさんいる代わりに、亡くなってしまった患者さんもたくさんいます。

がんは簡単な病気ではありません。どうやっても助からない状況もあるのです。

私は「回復して良かったですね」という言葉だけでなく「ご冥福をお祈りしています」という言葉も、何度もメールで送っています。

私の活動の歴史には、喜びや安堵だけでなく、悲しみや苦しみもたくさん含まれているのです。その経験、知識をあなたに全て伝えたいと思っています。

まずは無料ガイドブック「がんを完治させるための5つのルール」(PDFファイル。郵送も可)をお読みいただければと思います。

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なお、このガイドブックを作成した経緯、理由など詳細はこちらのページに記載しています。

⇒ がんを治すための「たった1つの条件」とは?

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