がんの発症とウイルス・細菌感染の関係
人の体は年齢を重ねるにつれて、細胞に含まれる遺伝子が少しずつ損傷を受けていきます。そ
の結果、細胞分裂のコントロールが効かなくなり、周囲の組織を無視して増殖し始めることがあります。これががんの始まりです。
このように、がんは体の内部で起こる変化によって発生するものです。そのため、ウイルスや細菌などの病原体による感染とは無関係に思えるかもしれません。しかし実際には、一部のがんは病原体の感染が原因で発症することが明らかになっています。
子宮頸がんとヒトパピローマウイルス(HPV)の関係を発見し、ノーベル賞を受賞したハラルド・ツア・ハウゼン博士は、「全がんの約20パーセントが病原体と関連している」と指摘しています。つまり、がん全体の5人に1人は、ウイルスや細菌感染が発症に関わっているということです。
2025年現在、がんとウイルス・細菌の関係についての研究はさらに進んでおり、感染予防によるがん対策の重要性が認識されています。
ウイルス性のがんの種類と発症メカニズム
成人T細胞白血病リンパ腫とHTLV-1ウイルス
血液のがんの一種である成人T細胞白血病リンパ腫は、ヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV-1)の感染が原因とされています。この病気は1977年に京都大学の高月清らによって発見され、1981年には原因ウイルスが日沼頼夫らによって分離されました。
このがんを発症すると、急性の場合には半年以内に約50パーセントの患者さんが亡くなるという予後の厳しい病気です。発症は通常50歳代以降ですが、ウイルスへの感染自体は乳児期に起こると考えられています。母親がウイルスに感染していると、母乳を通じて子どもにもウイルスが伝播するのです。
HTLV-1は「レトロウイルス」と呼ばれる種類のウイルスで、人の体内に入ると自身の遺伝情報を人間のDNAの中に組み込んでしまいます。そのため、細胞が増殖するたびに、ウイルスの遺伝情報を持つDNAも一緒に増えていきます。
感染者のほとんどはがんを発症せずに一生を終えますが、一部の方では、体内に長期間潜伏していたウイルスの働きによって異常な血球が急速に増殖を始めることがあります。こうして白血病やリンパ腫が発症します。
増殖が制御不能になる原因は、ウイルスが持つ「tax」と呼ばれる遺伝子ではないかと考えられています。この遺伝子は細胞を不死化させたり、細胞分裂の制御を不能にすることが知られています。ただし、がん発症の詳しいメカニズムについては、2025年現在も研究が続けられています。
日本国内では約120万人がこのウイルスに感染していると推測されていますが、実際に発症するのは感染者の5パーセント前後です。
肝臓がんと肝炎ウイルス
C型肝炎ウイルスやB型肝炎ウイルスに感染して肝炎を発症し、その後肝硬変に進行すると、肝臓がんの発症リスクが高まります。特にC型肝炎ウイルスは日本における肝臓がんの主要な原因となってきました。
肝炎ウイルスは肝臓の細胞に持続的な炎症を引き起こし、その炎症が長期間続くことで細胞のDNAに損傷が蓄積していきます。この過程で、正常な細胞ががん細胞へと変化していくのです。
C型肝炎は、かつては輸血による感染が多く見られましたが、1989年にC型肝炎ウイルスが同定されてからは、輸血用血液の検査体制が整備され、輸血が原因で感染するケースはほとんどなくなりました。また、2015年以降、C型肝炎の治療薬は飛躍的に進歩し、高い確率でウイルスを体内から排除できるようになっています。
子宮頸がんとヒトパピローマウイルス(HPV)
ヒトパピローマウイルス(HPV)は、子宮頸がんの主要な原因として知られています。このウイルスは性交渉を通じて感染し、ほとんどの女性が一生に一度は感染するといわれています。
HPVには100種類以上の型がありますが、そのうち高リスク型と呼ばれる特定の型(16型、18型など)が子宮頸がんの発症に関わっています。感染してもほとんどの場合は免疫によって自然に排除されますが、感染が持続すると子宮頸部の細胞に異常が生じ、数年から十数年かけてがん化することがあります。
HPVは子宮頸がんだけでなく、咽頭がんや皮膚がんなどの原因にもなることが分かっています。
その他のウイルス感染によるがん
エプスタイン・バー(EB)ウイルスは、悪性リンパ腫や上咽頭がんなどの原因になると考えられています。このウイルスは多くの人が子どもの頃に感染し、体内に潜伏し続けますが、免疫力の低下などをきっかけに再活性化し、がんの発症に関わることがあります。
また、エイズを引き起こすヒト免疫不全ウイルス(HIV)も、そのたんぱく質によってカポジ肉腫というがんの発症を促進すると見られています。
これらのウイルスは必ずしもがん遺伝子を持っているわけではありません。人間の細胞に働きかけたり、免疫システムを異常に活性化するなどして、間接的にがんを引き起こすと考えられています。
細菌による発がん:胃がんとピロリ菌の関係
日本人に多い胃がんの真の原因
日本人は欧米諸国と比べて胃がんの発症率が高いことが知られています。かつては胃がんの原因は塩分の過剰摂取とされていましたが、現在では真の原因はヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)という細菌であると考えられています。
1980年代、胃の粘膜にピロリ菌という細菌が生息していることが明らかになりました。強い酸性環境でも生き延びるこの細菌は、胃潰瘍や十二指腸潰瘍を引き起こす原因となっていました。
さらに研究が進むと、ピロリ菌が長期間にわたって胃に感染した状態が続くと、胃の粘膜が徐々に萎縮して慢性胃炎になることが分かりました。この状態が続くと、胃の粘膜の性質が腸の粘膜に似た状態に変化していき(腸上皮化生)、最終的にがん化してしまうのです。
ピロリ菌感染と日本の状況
日本では、衛生環境が十分に整備されていなかった時期に幼少期を過ごした中高齢者にピロリ菌の感染者が多いことが知られています。このことが日本人の胃がん発症率の高さにつながっていると考えられています。
ピロリ菌は主に幼少期に感染し、多くの場合、家族間での食べ物の口移しや、汚染された井戸水などを通じて伝播します。現在の日本では上下水道の整備が進んだため、若い世代の感染率は低下していますが、50歳以上の世代では依然として高い感染率が見られます。
感染が原因のがんを予防する方法
感染症が原因で発症するがんは、他の多くのがんとは異なり、感染経路を遮断したり、予防対策を行うことで高い確率で予防することができます。
ワクチンによる予防
ヒトパピローマウイルス(HPV)に対しては予防ワクチンが開発されており、日本でも定期接種の対象となっています。2025年現在、HPVワクチンは男女ともに接種が推奨されており、子宮頸がんだけでなく、咽頭がんや肛門がんなどの予防効果も期待されています。
B型肝炎ウイルスについても予防ワクチンが開発されており、現在では乳児期の定期接種として実施されています。このワクチン接種により、B型肝炎の新規感染者は大幅に減少しています。
ピロリ菌の除菌治療
近年では、ピロリ菌の除菌治療を行うことで胃がんの発症を抑える取り組みが広がっています。2013年からは慢性胃炎に対するピロリ菌除菌治療が保険適用となり、多くの患者さんが治療を受けられるようになりました。
除菌治療は抗生物質と胃酸分泌抑制薬を組み合わせて1週間服用する方法で、1回目の治療で約70〜80パーセント、2回目の治療まで含めると約90パーセント以上の成功率があります。
肝炎ウイルスの検査と治療
C型肝炎については、近年の治療薬の進歩により、ほとんどの患者さんでウイルスを体内から排除できるようになっています。早期に感染を発見し、適切な治療を受けることで、肝臓がんへの進行を予防することが可能です。
自治体では肝炎ウイルス検査を無料または低額で実施しているところが多くあります。特に40歳以上の方で一度も検査を受けたことがない方は、検査を受けることが推奨されています。
感染性のがんと日本の現状
日本では他の先進国と比べて、胃がんや肝臓がん、子宮頸がんの発症率が高いことが知られています。これらはいずれも病原体が原因となるがんです。
がんの種類 | 原因となる病原体 | 主な予防法 |
---|---|---|
胃がん | ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌) | 除菌治療、内視鏡検査 |
肝臓がん | B型・C型肝炎ウイルス | ワクチン接種(B型)、抗ウイルス治療、定期検査 |
子宮頸がん | ヒトパピローマウイルス(HPV) | HPVワクチン接種、子宮頸がん検診 |
成人T細胞白血病リンパ腫 | HTLV-1ウイルス | 母乳を介した感染予防、抗体検査 |
感染予防に十分な対策を講じることで、今後のがん発症率を低下させることが期待されています。特に若い世代では衛生環境の改善やワクチン接種の普及により、これらのがんの発症率が減少していくと予測されています。
感染が原因のがんに関する最新の知見
2025年現在、がんとウイルス・細菌の関係についての研究はさらに進展しています。新たな病原体とがんの関連性が次々と明らかになっており、がん予防の可能性が広がっています。
例えば、一部の大腸がんや食道がんについても、特定の細菌叢(さいきんそう)の変化が発症に関わっている可能性が指摘されています。腸内細菌のバランスが崩れることで、慢性的な炎症が生じ、それががん化のリスクを高めるという仮説です。
また、免疫チェックポイント阻害薬などの新しいがん治療薬の開発により、ウイルス感染が原因のがんに対する治療選択肢も増えています。ウイルス関連のがんは、ウイルス抗原に対する免疫反応を利用した治療が効果的である可能性が示されています。
個人でできる感染性がんの予防対策
感染が原因となるがんを予防するために、個人でできる対策をまとめます。
まず、推奨されているワクチン接種を受けることです。特にHPVワクチンとB型肝炎ワクチンは、がん予防に直結する重要なワクチンです。
次に、定期的な検診を受けることが重要です。胃がんのリスクがある方はピロリ菌の検査と除菌治療を、肝炎ウイルスのリスクがある方は抗体検査を受けることが推奨されます。子宮頸がん検診も定期的に受けることで、前がん病変の段階で発見し、治療することができます。
また、感染経路を理解し、適切な予防行動をとることも大切です。性感染症の予防、衛生的な生活環境の維持、免疫力を保つための健康的な生活習慣なども、感染リスクを減らすために有効です。
感染症が原因となるがんは予防可能ながんであり、適切な知識と対策により、発症リスクを大きく減らすことができます。自分自身と家族の健康を守るために、これらの予防策を積極的に活用していくことが大切です。