人が年齢を重ねるにつれ、体をつくる細胞におさめられた遺伝子は少しずつ傷ついていきます。
その結果、細胞が分裂をコントロールできなくなり、周囲を無視してひたすら増殖し始めることがあります。これががんの始まりです。
つまり、がんは体の内部の作用で発生するものだといえます。ですので、がんはウイルスや細菌などの病原体の感染とはまったく関係のないように思えます。しかし、一部のがんはこうした病原体の感染が原因で発症します。
子宮頸がんとパピローマウイルスの関係を見いだしたノーベル賞学者ハラルド・ツア・ハウゼンは、「すべてのがんの約20パーセントが病原体と関係づけられている」と述べています。
たとえば、血液のがんの一種(成人T細胞白血病リンパ腫)は、ヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV-1)というウイルスに感染することが原因と考えられています。この病気は1977年、京都大学の高月清らによって発見され、81年にその原因となるウイルスが日沼頼夫らによって分離されました。このがんを発症すると、急性の場合には半年以内に約50パーセントの人が亡くなります。
発症はふつう50歳代かそれ以上ですが、実際にウイルスに感染するのは乳児期と考えられています。母親がウイルスに感染していると、母乳を通じて子どももウイルスに感染するのです。
このウイルスは「レトロウイルス」と呼ばれる種類で、人間に感染すると、自分自身の遺伝情報を人間の遺伝子をつくっているDNAの中に組み込んでしまいます。そのため、細胞が増殖するとともに、ウイルスの遺伝情報をもつDNAも増えていきます。
ほとんどの感染者はがんを発症せずに一生を終えますが、なかには感染者の体内に長い間潜伏していたウイルスのはたらきによって、異常な血球が爆発的な勢いで増殖を始めることがあります。こうして、白血病やリンパ腫が発症します。
増殖が暴走する原因は、ウイルスがもつtaxと呼ばれる遺伝子ではないかと考えられています。この遺伝子は細胞を不死化したり、細胞分裂を制御不能にすることが知られています。しかし、がん発症のしくみについてはいまのところよくわかっていません。
日本では120万人がこのウイルスに感染していると推測されていますが、発症するのは感染者の5パーセント前後です。成人T細胞白血病リンパ腫以外にも、ウイルス感染が原因で発症するがんがあります。たとえばC型肝炎ウイルスやB型肝炎ウイルスに感染して肝炎になり、その後肝硬変に進行すると、非常に肝臓がんが発症しやすくなります。
またパピローマウイルスは子宮頸がんや咽頭がん、皮膚がんなどの原因であり、「エプスタイン=バー(EB)・ウイルス」は、悪性リンパ腫などの原因になると考えられています。エイズを引き起こす「ヒト免疫不全ウイルス(HIV)」も、そのたんぱく質によってカポジ肉腫というがんの発症をうながすと見られています。
これらのウイルスはどれもがん遺伝子をもっている、というわけではありません。
人間の細胞にはたらきかけたり、免疫を異常に活性化するなどして、間接的にがんを引き起こすと考えられています。
またウイルスだけでなく、細菌によって生じるがんもあります。代表的な細菌はヘリコバクター・ピロリ、つまりピロリ菌です。
胃がんとピロリ菌
日本人は、胃がんの発症率が欧米諸国よりはるかに高いことが知られています。2005年の厚生労働省の統計によれば、現在でも胃がんの発症率はがんの中では第1位です。かつてその原因は塩分のとりすぎとされていましたが、それは発症のきっかけにすぎず、真犯人はピロリ菌だと考えられるようになりました。
1980年代、胃の粘膜にピロリ菌という細菌が棲み着いていることが明らかになりました。強い酸性環境でも生き延びるこの細菌は、胃潰瘍や十二指腸潰瘍を引き起こす原因となっていたのです。
しかもピロリ菌が長期間にわたって胃に感染したままだと、胃の粘膜がしだいに萎縮して慢性胃炎になることもわかりました。この状態が続くと、胃の粘膜は性質が腸の粘膜に似ていき、ついにはがん化してしまいます。
日本では、衛生状態の悪い時期に幼少期を過ごした中高齢者にピロリ菌の感染者が非常に多いことが知られています。このことが日本人の胃がん発症率の高さにつながっているのです。
感染症によるがんは、他の多くのがんとは異なって、感染経路を断ち切るなどすれば高い確率で予防することができます。たとえばC型肝炎は、かつては輸血によって感染するケースが非常に多かったものの、1989年にC型肝炎ウイルスが同定されてからは、輸血が原因で感染することはほとんどなくなりました。
また、ほとんどの女性が一生にいちどは感染するといわれるパピローマウイルスに対しては、最近予防ワクチンが開発されました。B型肝炎ウイルス用についても予防ワクチンが開発されています。
近年では、ピロリ菌の除菌治療を行うことによって胃がんの発症を抑える取り組みも始まりました。日本では他の先進国に比べて、胃がんや肝臓がん、子宮頸がんの発症率が非常に高いことが知られています。
これらはいずれも病原体を原因とするがんであるため、感染予防に十分な対策をとれば、今後のがんの発症率が劇的に低下する可能性もあります。