
乳がん抗がん剤治療における吐き気・悪心の現状
こんにちは。がん治療専門アドバイザー、本村ユウジです。
乳がんの治療で使用される抗がん剤の多くには、吐き気や嘔吐といった副作用があります。「ムカムカする」「吐きそう」という感覚や、実際に嘔吐してしまう症状は、患者さんにとって非常につらい経験です。
このような症状は日常生活の質を低下させるだけでなく、治療を続けるモチベーションにも影響を与えます。そのため、吐き気・嘔吐への適切な対策とケアは、乳がん治療を完遂するうえで重要な要素となっています。
現在では制吐剤(吐き気止めの薬)の開発が進み、以前と比べて吐き気・嘔吐を効果的にコントロールできるようになっています。最新の研究では、標準的な制吐療法にさらに薬剤を追加することで、より高い予防効果が得られることも明らかになっています。
この記事では、乳がん治療で使用される制吐剤の種類と効果、発現時期による分類、そして日常生活でできる工夫について詳しく解説します。
吐き気・嘔吐が起こるメカニズム
抗がん剤による吐き気・嘔吐は、複雑なメカニズムによって引き起こされます。
抗がん剤が投与されると、消化管(特に小腸)が刺激を受けます。この刺激によって、セロトニンやサブスタンスPといった神経伝達物質が放出されます。これらの物質が、上部消化管に存在する5-HT3(セロトニン)受容体や、脳の第4脳室最後野にある化学受容体引金帯のNK1(ニューロキニン)受容体を刺激します。
最終的に、これらの刺激が延髄にある嘔吐中枢を興奮させ、吐き気や嘔吐という症状として現れます。
このメカニズムが解明されたことで、それぞれの受容体に作用する制吐剤が開発され、複数の薬剤を組み合わせることで相乗効果が期待できるようになりました。
吐き気・嘔吐の発現時期による分類
抗がん剤による吐き気・嘔吐は、発現する時期や原因によって大きく3つのタイプに分類されます。それぞれのタイプに応じた対策が必要です。
急性嘔吐(きゅうせいおうと)
急性嘔吐は、抗がん剤投与開始から24時間以内に起こる吐き気・嘔吐です。
投与直後から数時間の間に症状が現れることが多く、主にセロトニンの放出が関係しています。5-HT3受容体拮抗薬が特に有効とされています。
遅発性嘔吐(ちはつせいおうと)
遅発性嘔吐は、抗がん剤投与開始から24時間後から120時間後(2日目から5日目)まで持続する吐き気・嘔吐です。
急性期を過ぎた後も症状が続くため、患者さんの生活の質に大きな影響を与えます。サブスタンスPなどの神経伝達物質が関与しており、NK1受容体拮抗薬やデキサメタゾンが効果的です。
なお、抗がん剤投与開始から120時間(5日)以降も症状が続く「超遅発期悪心・嘔吐」という概念も注目されており、長期的な対策の必要性が認識されています。
予期性嘔吐(よきせいおうと)
予期性嘔吐は、抗がん剤を投与される前に、治療のことを考えるだけで吐き気や嘔吐が起こる状態です。
過去の治療で強い吐き気や嘔吐を経験した患者さんに見られることがあり、精神的な要因が大きく関与しています。通常の制吐剤では効果が期待できないため、抗不安薬などメンタル面に作用する薬剤が用いられることがあります。
急性期と遅発期の吐き気・嘔吐をしっかりコントロールすることが、予期性嘔吐の予防にもつながります。
抗がん剤の催吐性リスク分類
抗がん剤は、吐き気や嘔吐を引き起こす程度によって催吐性リスクが分類されています。制吐剤を使用しない場合に24時間以内に嘔吐が起こる割合によって、以下の4段階に分けられています。
| リスク分類 | 嘔吐発現率 | 代表的な抗がん剤 |
|---|---|---|
| 高度催吐性 | 90%以上 | シスプラチン、AC療法(アントラサイクリン系+シクロホスファミド) |
| 中等度催吐性 | 30%~90% | カルボプラチン、オキサリプラチン、イリノテカン |
| 軽度催吐性 | 10%~30% | パクリタキセル、ドセタキセル |
| 最小度催吐性 | 10%未満 | ベバシズマブ、トラスツズマブ |
乳がん治療でよく使用される高度・中等度催吐性の抗がん剤
乳がん治療では、以下のような抗がん剤が頻繁に使用されます。
高度催吐性リスクの抗がん剤:
・ドキソルビシン(アドリアマイシン)
・エピルビシン
・シクロホスファミド(これらを組み合わせたAC療法、EC療法)
中等度催吐性リスクの抗がん剤:
・カルボプラチン
・カペシタビン
・トラスツズマブエムタンシン
これらの抗がん剤を使用する際は、催吐性リスクに応じた適切な制吐療法が実施されます。複数の抗がん剤を併用する場合は、最も催吐性リスクの高い薬剤に合わせた制吐療法が選択されます。
制吐剤の種類と作用機序
現在、乳がん治療で使用される主な制吐剤は、作用するメカニズムによって大きく4種類に分類されます。
5-HT3受容体拮抗薬
セロトニン受容体に作用し、吐き気のシグナルをブロックします。急性期の吐き気・嘔吐に特に効果的です。
代表的な薬剤:
・第1世代:グラニセトロン、オンダンセトロン、ラモセトロン
・第2世代:パロノセトロン
第2世代のパロノセトロンは、5-HT3受容体との結合力が強く、半減期が長いため、遅発期の吐き気・嘔吐にも抑制効果を示します。
NK1受容体拮抗薬
サブスタンスPの作用を阻害し、急性期と遅発期の両方に効果があります。
代表的な薬剤:
・アプレピタント(商品名:イメンド) - 内服薬
・ホスアプレピタント - 注射薬
・ホスネツピタント - 注射薬(2022年発売)
ホスネツピタントは約70時間という長い半減期を持つことが特徴で、内服薬の飲み忘れを防ぐメリットがあります。
副腎皮質ステロイド剤(デキサメタゾン)
制吐剤として約25年前から使用されている最も歴史のある薬剤です。急性期・遅発期ともに効果があります。
商品名:デカドロン、レナデックスなど
デキサメタゾンは制吐作用とともに、食欲増進作用があるため体重増加を引き起こすことがあります。また、血糖値の上昇、不眠、消化性潰瘍、骨量低下などの副作用にも注意が必要です。
オランザピン
もともと抗精神病薬として使用されていた薬剤ですが、2017年に「抗悪性腫瘍剤投与に伴う消化器症状(悪心、嘔吐)」に対して保険適用となりました。
オランザピンは複数の受容体に作用する特性があり、急性期・遅発期ともに高い制吐効果を示します。通常は5mgまたは10mgが使用されますが、ふらつきや眠気などの副作用に注意が必要です。
催吐性リスク別の標準的な制吐療法
高度催吐性リスク抗がん剤に対する制吐療法
高度催吐性リスクの抗がん剤(AC療法、EC療法など)に対しては、以下の4剤併用療法が標準的な予防的制吐療法として推奨されています。
| 薬剤分類 | 投与タイミング | 効果 |
|---|---|---|
| 5-HT3受容体拮抗薬 | Day 1(投与日) | 急性期に特に有効 |
| NK1受容体拮抗薬 | Day 1~3 | 急性期・遅発期に有効 |
| デキサメタゾン | Day 1~4 | 急性期・遅発期に有効 |
| オランザピン | Day 1~4 | 急性期・遅発期に有効 |
オランザピンの併用が困難な場合(糖尿病などの禁忌がある場合)は、上記3剤併用療法が行われます。
なお、AC療法に対しては、デキサメタゾンの投与を2日目以降省略する「ステロイドスペアリング」が選択肢の一つとして提示されています。これはステロイドの副作用を減らす目的で行われますが、この場合は第2世代の5-HT3受容体拮抗薬であるパロノセトロンの使用が優先されます。
中等度催吐性リスク抗がん剤に対する制吐療法
基本的には5-HT3受容体拮抗薬とデキサメタゾンの2剤併用療法が行われます。
ただし、カルボプラチン(AUC≧4)を使用する場合は、NK1受容体拮抗薬を加えた3剤併用療法が強く推奨されています。
2剤併用療法で十分にコントロールできない場合は、3剤併用療法への変更が検討されます。また、3剤併用療法に対してオランザピンを追加することも選択肢として示されています。
オランザピン5mgの上乗せ効果:最新の研究成果
2025年6月、日本の研究グループが医学誌『The Lancet Oncology』に発表した臨床試験(J-FORCE試験)の結果は、乳がん治療における制吐療法に新たな選択肢を示しました。
研究の概要
この研究は、国内15施設でアントラサイクリン系抗がん剤とシクロホスファミドを含むAC療法を受ける乳がん患者500人を対象に実施されました。患者さんは無作為に2つのグループに分けられ、標準的な3剤併用制吐療法にオランザピン5mgを加えた群と、プラセボ(偽薬)を加えた群で比較が行われました。
研究結果
| 評価項目 | オランザピン5mg群 | プラセボ群 |
|---|---|---|
| 全期間の完全奏功率(嘔吐なし・救済治療なし) | 約60% | 約35% |
| 急性期の嘔吐完全抑制 | 高い効果 | やや低い |
| 遅発期の嘔吐完全抑制 | 有意に良好 | 低い |
この結果から、標準的な3剤併用制吐療法にオランザピン5mgを上乗せすることで、化学療法誘発性の悪心・嘔吐のコントロールが有意に改善されることが明らかになりました。
オランザピン5mgと10mgの比較
国際的なガイドライン(ASCO、MASCC/ESMOなど)では、オランザピンの推奨用量として10mgが第一選択とされていますが、ふらつきや眠気などの副作用が問題となっていました。
日本の研究では、5mgでも十分な制吐効果が得られ、かつ安全性プロファイルが臨床的に許容可能であることが示されました。特に通院治療が主体となる乳がんのAC療法では、帰宅途中の転倒リスクを考慮すると、5mgという低用量の選択肢は重要です。
高齢の患者さんや鎮静作用による有害事象が懸念される場合には、5mgから開始することが推奨されています。
各タイプの吐き気・嘔吐への対策
急性嘔吐への対策
抗がん剤投与日(Day 1)から予防的に以下の制吐剤を使用します。
・5-HT3受容体拮抗薬
・NK1受容体拮抗薬
・デキサメタゾン
・オランザピン(推奨される場合)
これらの薬剤を組み合わせることで、投与直後から24時間以内に起こる急性期の吐き気・嘔吐を効果的に予防できます。
遅発性嘔吐への対策
抗がん剤投与後2日目から5日目にかけて起こる遅発性嘔吐に対しては、以下の対策が重要です。
・NK1受容体拮抗薬の継続投与(Day 2~3)
・デキサメタゾンの継続投与(Day 2~4)
・オランザピンの継続投与(Day 2~4)
遅発性嘔吐は、急性期をうまくコントロールできても発現することがあります。処方された薬を指示どおりに服用し続けることが重要です。
予期性嘔吐への対策
予期性嘔吐は、過去の治療経験に基づく条件反射的な反応です。
最も効果的な予防策は、最初の治療から急性期・遅発期の吐き気・嘔吐をしっかりコントロールし、不快な経験を残さないことです。
症状が現れた場合は、抗不安薬や心理的サポート、リラクゼーション法などが検討されます。主治医や看護師、心理士などと相談しながら対策を進めることが大切です。
日常生活での工夫と対策
制吐剤による薬物療法に加えて、日常生活でできる工夫も吐き気・嘔吐の軽減に役立ちます。
食事に関する工夫
・食事の量と回数を調整する
一度にたくさん食べると胃に負担がかかります。1日4~6回に分けて少量ずつ食べるようにします。
・脂肪の多い食品を避ける
脂肪分の多い食品は胃に長くとどまりやすく、吐き気を誘発することがあります。特に抗がん剤投与前は、揚げ物や脂っこい料理を控えます。
・ゆっくり食べる
急いで食べると胃への負担が大きくなります。よく噛んで、時間をかけて食事をとるようにします。
・においの強い食品を避ける
吐き気があるときは嗅覚が敏感になることがあります。においの強い食品や温かい料理よりも、冷たい食事や室温の食事を選ぶとよいでしょう。
水分摂取の工夫
・こまめに水分をとる
脱水を防ぐため、少量ずつこまめに水分を補給します。吐き気があるときでも、氷を口に含んだり、炭酸水を少しずつ飲むなど、自分に合った方法を見つけます。
・吐いた後は特に注意
嘔吐すると体内の水分と電解質が失われます。吐いた後は特に意識的に水分補給を行います。経口補水液も効果的です。
その他の生活上の工夫
・リラクゼーション
深呼吸、瞑想、音楽を聴くなど、リラックスできる方法を取り入れることで、精神的な緊張を緩和し、症状の軽減につながることがあります。
・服装の工夫
体を締め付けない、ゆったりとした服装を選びます。特に腹部を圧迫しない服装が推奨されます。
・適度な休息
疲労は吐き気を悪化させることがあります。十分な睡眠と休息をとり、無理をしないようにします。
制吐剤の副作用と注意点
制吐剤にも副作用があります。主な副作用を理解し、気になる症状があれば医療チームに相談することが大切です。
デキサメタゾンの副作用
・血糖値の上昇
・不眠
・食欲増進による体重増加
・消化性潰瘍
・骨量低下
糖尿病の患者さんは特に血糖値の変動に注意が必要です。
オランザピンの副作用
・眠気、ふらつき
・体重増加
・血糖値の上昇
糖尿病の患者さんには禁忌となっています。また、傾眠、注意力・集中力・反射運動能力の低下が起こることがあるため、服用中は高所での作業や自動車の運転は避けるべきです。
5-HT3受容体拮抗薬の副作用
・便秘
・頭痛
・めまい
一般的に副作用は軽度ですが、便秘が続く場合は医師に相談します。
医療チームとのコミュニケーション
制吐療法を効果的に行うためには、患者さんと医療チームとの良好なコミュニケーションが不可欠です。
症状の記録
吐き気や嘔吐の症状、頓服薬の使用状況などを記録しておくと、次回の治療計画を立てる際の参考になります。患者日誌を活用することも有効です。
遠慮なく相談する
「この程度の症状で相談してもよいのだろうか」と遠慮する必要はありません。小さな変化でも医療チームに伝えることで、より適切な対策が講じられます。
薬の変更や追加について
現在の制吐療法で十分にコントロールできない場合は、薬剤の変更や追加が検討できます。オランザピンの追加やNK1受容体拮抗薬の併用など、選択肢があることを知っておくとよいでしょう。
制吐療法の今後の展望
制吐療法の分野では、現在も研究が進められています。
2022年に発売されたホスネツピタントは、長い半減期を持つNK1受容体拮抗薬として注目されており、今後のガイドライン改訂で推奨される可能性があります。
また、オランザピン5mgの有効性が証明されたことで、低用量での支持医療が推奨される流れが加速することが期待されています。これは、効果を維持しながら副作用を軽減し、医療費の負担も減らすという観点から重要です。
現在では、抗がん剤による吐き気・嘔吐は「制御できる副作用」と考えられるようになってきています。ただし、確立された支持療法を行っても吐き気や嘔吐が起こる患者さんがいることも事実であり、さらなる研究と対策の向上が求められています。
参考文献・出典情報
- 日本癌治療学会「制吐薬適正使用ガイドライン 2023年10月改訂 第3版」
- 順天堂大学「乳がんの抗がん剤治療に朗報」
- がん情報サイト「オンコロ」乳がん患者の化学療法誘発悪心・嘔吐に対する標準制吐療法+オランザピン併用療法に関する記事
- 日医工株式会社「薬剤師のためのBasic Evidence(制吐療法)」
- 日本経済新聞「乳がん治療の吐き気止め、推奨量の半分でも効果」
- 北海道がんセンター「乳がんの薬物療法について」
- 聖路加国際病院ブレストセンター「乳がんの治療を受けられる方へ - 化学療法」
- がん情報サイト「オンコロ」オランザピン5mg+標準制吐療法に関する記事
- 国立がん研究センター がん情報サービス
- 日本乳癌学会

